2015年12月20日日曜日

相田啓介:国宝「阿弥陀如来座像」

西日の当たる勝常寺
昭和60年頃の事と思います。京都の友人からの電話で
「会社の同僚が勝常寺の仏像の修理をしているのですが、金粉が欲しいので売っている店を紹介してほしいのです。」との事でした。彼は京都の(財)日本美術院に勤務していました。勝常寺は私の工房から車で10分ほどですので、手許の金粉を持って、その現場に行ってみました。
修理の二人が待っておられました。そして普段は本堂の奥深く、正月の元旦のみの開帳、それも遠く薄暗くどうにか輪郭が見える程度の仏様が明るい広場に横たえてありました。二人に断って見せていただきました。しっかりとした漆塗りのかなり大きな仏像、それが当時重要文化財の阿弥陀如来座像でした。
仕事柄つい漆のほうに目が行ってしまいます。どのような漆の下地か見当がつきませんでしたがかなりしっかりとくっついた下地に見えました。塗った漆面に一か所ちぢみがありましたが、ゆっくり乾かした様に見え精製漆が塗ってあると思いました。塗膜及び下地は長い年月のせいでしょうか大分弱っている様に見えました。そして、微かに金色に見える部分がありました。
見れば見るほど造りといい仕事といい素晴らしいものでうっとりとしてしまいました。そして、何よりの驚きは像の底の部分でした。
材は欅ではなくハルニレとの事でした。丸太を二つに割り芯の部分を取り除いて、再びくっつけてありました。軽くするためでしょうか底の部分は鑿で刳りぬいて鎹が打ち付けてありました。その鑿痕が力強く素晴らしいのです。普段は外気に触れないからなのでしょうか、木肌も白く真新しく数年前の削り跡の様に見えるほどです。まるで木の香りがする様でした。切れ味の良い鑿で力を込めて彫り込んでありました。
千年前の仏師の仕事ぶりが脳裏にうかびました。手の仕事はこうでなければ、と思いました。作り手を思わせる何かが素晴らしいのです。名品とよばれる作品には必ずその何かが隠されているのではないでしょうか。静かな気品に満ちたこの仏像こそ会津の誇る宝物と思った次第です。
来年の元旦には遠く微かに見える仏様を参拝に勝常寺に出かけるつもりです。

画面におさまりきらない大きな屋根

本堂

正面入口

ずんずん入って行く。


ずんずん

ずんずん

ずん。

御賽銭を投げ入れ、

どうか貧困から抜け出せますように。と懇願。


正門の中にある2体の彫刻

こ、これって、阿弥陀如来立像?

2015年12月12日土曜日

煙、煙。

今日の燻製。
今朝いただいたヘネシーこれの肴はスモークチーズ。と思い立ったのです。
 今日は天気予報通りの晴天。本当ならば、展示会に来ていただいた方々へお礼のお手紙を書いたり、仕事場の整理など、やらなければならない事が沢山あるのですが、本当に自分自身にとってやらねばならない事、、、、それは、燻製作りなのかもしれない、と、全ての事々を後回しにして、今日は一日燻製をしてみました。

根来の椿皿と堅手の小鉢に盛り付け。
こんな感じ。

スモーク日和

モクモクと燻製作り。

これで、大体概ね30分


2015年12月6日日曜日

社食物語


今日の百貨店。旗もバタバタ、やる気満々。 
 実は僕は、スマホを持っていないのです。
なので、展示会の様子をお伝えするのが今日になってしまいました。7日までの催事なので、残された時間は、あと1日。この限られた中で販売促進の決めては何なのか、、、帰りの電車の中思考しぬいた一つの決断は、社員食堂。
仕事の出来るデパートマンは社食の食べっぷりも見事なもので、僕などがカメラでパシャパシャ撮っても決して怒ることなく素敵な笑みを返してくれる、、、、などと思いきや、そんなことも無く、普通に怒られ、撮影を断念。
が、しかし、麺類のクオリティーの高さは筋金入りで、「ああ、やっぱり高島屋だ」と感じるのであります。

みんな大好き塩コーンラーメン。


秘密の階段を降りる。


さらに降りる。

地下2階
皆さん吸い込まれるように食堂へ。


素敵なメニューの数々。

数々の社食コンテストを総なめにした証。

裏メニュー、サンラータンメン。

栄養面も思考しぬいている。

がんばれ。

あと、1日

皆さんどうぞよろしくお願い致します。残り1日。


2015年11月23日月曜日

相田啓介:創作と模倣(器物の形状について)

展示会でお渡しするべく、版画を摺っておりました。その版木、、、。
新たな物を作る場合、手本となる物があれば創作ではなく写し或は模倣という事になります。その一部を変化させた場合は写しからの発展という事でしょうか。その手本が古い時代のものであればそれで良いのですが、現在作者が存在する場合、現行品である場合のそれは少しニュアンスが違って模倣或は「パクリ」という事になって良からぬ行為と見られる事になります。
私の場合は「パクリ」は大嫌いですし、写しも苦手なので、自分で考えた物を制作の基本としています。そうは言っても長い間には、ほれ込んだ古い時代の名品をどうしても自分で作ってみたいと思うことがあります。その場合はその対象物を時間をかけて見て、眺めて、そして忘れてしまう事にしています。そしてその後どうしてもそれを作ってみたいと思ったときは、自分なりに図面を作ってみます。その場合は半分創作で半分が模倣となるのでしょうか。それとも創作といえるのでしょうか。
人類の文明及び文化は相互の模倣とわずかの創意によって発展してきました。工芸では、例えば産地などでは技術も制作物も模倣とわずかの創造によって発達発展してきたのです。自分の創作と思い込んでいる物も実は以前から見てきた数多くの工芸品や美術品などの断片とその組み合わせにすぎない事も多いのです。創作と模倣はどこからどこまでとの線引きは難しい事なのです。
ここに一つの例を上げます。輪島のレジェンド奥田達朗氏の場合、写しの名人と言われていたそうですが、私は違うと思います。数々の名作を遺したのですが、その手本として弥生時代の土器であったり、朝鮮の木の椀であったりするのですが、彼の作品とはまるでイメージが違うのです。その手本を時間をかけて噛み砕いて、消化して創りだした新たな創作に思えて仕方がないのです。奥田氏は創作家であったと私は思っています。その作品を木地屋に持ち込んでコピーを作り量産するなどは盗人の様な恥ずかしい行為です。
作家とか工芸家とか呼ばれている人が他人の作品の「パクリ」をする様では中国などのパクリ業者と同じレベルに成り下がってしまうのではないでしょうか。プライドを持って作品作りをしてほしいものです。全ては自分の中にある事なのです。決して人の真似をしない自分自身の制作を身上とする作り手も少なからず見る事が出来るのです。
公募展を目指す作家がオリジナルな制作を目指すのは当たり前の事ですが、そういった方々も椀や皿などの漆器を作る場合、あまりそこに拘らない人も中にはいる様です。プライドを持って作る。それに尽きると私は思っています。

ほれ込んだ骨董ダイアポロン。プライドを持って摺り上げた版画とともに。

これじゃ、何処かのパクリ業者と同じ、、、などとお思いの方、展示会に来て頂いて、
声高にダイアポロン版画下さい。と仰って頂けたら、一枚差し上げます。
模倣か果たして創作なのか、、、、。どうぞよろしくお願いします。

スプーン色々。

12月1日~7日、日本橋高島屋7階和食器、相田啓介うるし展。
ささやかな催事ですが、どうぞよろしくお願い致します。

2015年11月13日金曜日

エディプスコンプレックス

少し前に有名な古美術店から買ったアポロンレッガー。
エディプスコンプレックスの現象は、古代から現代まで人間の住む地球上のいたるところで、ごく普通の現象として知られており、父、母、子の三者が互いに血縁である家族で愛し合う関係でありながら無意識のうちに張り合ったり、嫉妬したり、憎しみ合ったり傷つけ合ったりする事実がある、、、と偉大な精神分析学者が証言しております。現代劇ふうに例えてみるならば、事業や博打で膨らんだ多額の借金を背負った父親が息子にたかり、見るに見かねて不憫に思った息子は、母親を巧妙な嘘の事実で騙し、その借金返済をするのです。せっせと温泉旅館の布団敷きのアルバイトで生計を立てる母親は息子に全財産を騙し盗られた事実を知るや憎しみのあまり職場にあった竹伐り用の長さ一尺ほどの両刃の鉈で実の息子の頭を、、、、、、、。
と、云うような事を未然に防ぐべく資本主義に基づく来たるべきエディプスコンプレックスをのりこえる為のささやかな、近い未来の催事のご報告をしたいと思います。
皆さんはご存知でしょうか?今、工芸は嘘と欺瞞と虚栄に満ちた物に侵されている事を、オシャレに嘘をつける人々が立派な工芸家として認められている事を、、、スタイリッシュでオシャレな現実はただのまやかしであることを、、、、、、。
今の工芸を否定し本来の来たるべき手仕事を奪還する、、、催事に出来たらなどと考えております。けれど、そんなやたらに大声でまくし立てると百貨店さんに怒られてしまうので、今回は慎ましくささやかな催事という感じなのです。


催事のDM


日本橋高島屋7階和食器12月1日(火)~7日(月)まで、期間は会場におります、どうぞよろしくお願い致します。

2015年11月2日月曜日

重大な報告たち。

店主のおススメ、骨董ダイアポロン。
僕たちのような手工芸はどうしても、後ろ向きにならざるをえない使命をもっているのかもしれません。かつての繁栄した、人間らしい自然と向き合った暮らしを取り戻すためには、かつての工芸の品々のもっていた、言葉では言いえないアウラの様なものを感じ映さねば手工芸の本質を奪還する事は出来ないのかもしれません。なぜなら今日は先日のご報告をしようかと、思っているから、なのです。
素敵な中央区に佇む骨董屋さん達(四店舗七店)がどうやら古道具のイベントをやる、、、、というのです。
とにかく工芸と骨董は密接な関係にあらねばならないと、、、、そんな思いで高速バスで上京したのであります。



イベントの様子

貴重な品々

イベント様子その2
、、、、とそんな事の他に重要な事、実は有名な日本橋の某百貨店にてささやかな催事のご報告がございます。少しでも僕達の仕事が御理解して頂けたら、、、、と考えています。


某デパート

敷居の高さを物語る「高」マーク

12月1日~7日まで。催事のDMとダイアポロン。
と、今回は散漫なブログになってしまいました。

2015年10月28日水曜日

相田啓介:松田権六著「漆の話」

お椀の裏側
私が若いころ何度も読み返しつつ読んだ本に岩波新書「漆の話」松田権六著があります。漆のテキストの様に思っていました。読むにつれ何かちょっとした違和感を感じ始めました。
最初は谷崎潤一郎「陰翳礼賛」の中で静かな茶席でジィーと小さな気泡の吹き出る音が風情があると書いているのですが、松田氏はそれがいけないと言っているのです。椀の下地が良くないのが原因で、椀の壊れる音である。大谷崎ともあろう者がその様な事を書くのはおかしい、間違っているというのです。谷崎さんは椀が良いとか悪いとか、そんな事はどうでも良いので、ただジィーとする音が風情があるといっているのです。これは、松田氏の論理のはき違えではないでしょうか?
次は桧の椀木地に漆(生漆か精製漆かは不明)を刷毛で8回塗り重ねて塗り上げた椀が良い、との部分です。桧材は縦の繊維が大変強くまた、樹脂分がぬけにくく木質がボケず、長い時間強度が変化しない素晴らしい木材です。しかし、木口面の強度はあまり強くありません。木口に細かい細工をするとポロポロとその部分が崩れやすいのが欠点です。椀などの繊維面を切る造形には全く不向きな材と思います。また、漆を8回も塗り重ねると、どんなに木地と漆の食いつきに気を付けても使い込めば、特に木口の部分からボロッと剥がれてしまいます。古い椀の中に塗り重ねの方法で下地をしたものがあるとの事ですが、私は見たことがありません。ただ、炭粉の柿渋下地の上に何度か漆を塗ったものを見たことがあります。炭粉渋下地は松煙と違い色が殆ど付ませんのでよく見ないと見過ごしてしまいます。木地と漆の食いつきが中々良いのですが、下地の厚みが殆ど無いのでザラザラとした仕上がりになります。これに1~2回精製漆を塗り重ねれば見た目も良く、そこそこ丈夫な漆器になります。松田氏はこれと勘違いをされたのでは、と私考えています。また、漆を直に塗り重ねれば重ねるほど、静電気が焦電しやすくなり、埃が付きやすくなります。したがって埃だらけの塗物になりがちです。松田氏は桧の椀木地に本当に8回漆の塗り重ねた椀をご自分で作られたのでしょうか?他の職人さんが作られたのであればよほどの苦労があったものと察せられます。そして、その椀を使い込んだのでしょうか。自分自身で苦労してみないと見えてこない事が多々あるのではないでしょうか?
また、冬に漆を採取させて、その漆で作品を作った話があります。大変透明度の高い漆で予測通りであったそうです。樹液が全く混じらないので透けが良いのは当然です。枝漆(えだうるし)の透けが良いのと同じ事です。また腕の良い漆掻きさんの漆は樹液の混じらぬ様に採取するので、透明度が高いのです。この様な不自然な採取の漆で作品を作るのは全くのお遊びの範疇の仕事の様に思います。それを「どうだ、すごいだろう」と言われているみたいで、ちょっと鼻白んでしまいます。
読めば読むほど、納得のゆかぬ事も多く、それらと自慢話のオンパレードに思えてきたのでです。今ではその本は捨ててしまったか、どこかに紛れ込んでしまったか、探してみる気にもなりません。
松田氏はアールデコのデザイン性を作品に取り込んで、表現された立派な作品造りをされたかたです。多くの方々の尊敬を集めるのは私にもわかります。
同じ時代に音丸耕堂氏がおられます。アールヌーボー的な作品造りをされて、アールヌーボーを超えたかたと私は思っています。仮に絵画や彫刻などの別の分野に進まれていればワールドクラスの芸術家になられたのでは、と心秘かに思っています。松田氏が仮に漆芸ではなく、政治の分野に進まれておられたら、ワールドクラスの政治家、総理大臣位にはなっておられたのではと心密かに考えています。
とまあ、悪口を並べてみたのですが、松田氏は今後の漆工の歴史に残る有力な作家であるのは間違いのないことです。ただ、称賛の声が強すぎるのは気になる所なのです。私が松田権六と呼捨てにしたと、叱られた事があります。松田先生と呼べと言われました。大きなお世話です。
松田権六氏は日本の漆工史に名を残す有力な一作家で、それ以上でもそれ以下でもないと常々思っております。


2015年10月16日金曜日

相田啓介:漆の基本、下地について。

所謂、秀衡椀。秀逸な作品が全てではないのですが、堅地の物が比較的に多い様に思います。


昭和51年だと思いますが、輪島の伝説の塗師、奥田達朗氏が会津若松にやって来た折りの事です。
会津の有名な漆器店の資料室で会津の名品を私と二人で見学していた時の事です。
黒塗りの立派な義太夫の見台を見て「これは、漆が木地から浮いている。漆が木地にくっついていない。」と奥田氏が言いだしたのです。

私にすれば木地も良いし、下地のキレも良く上塗りといったらこの上なく上手だし、その塗付されている漆は見たことも無いような漆で、文句の付けようもない会津の漆器として自慢できる品だと思っていました。
しかし、漆が木地に食いついていないと云われてみればその通りなのかもしれない、とその時思いました。その様な物の見方があるのか、とも思いました。しかし時経つにつれ、これは一番大切なものの見方、考え方であると思い始めました。
まず、下地が堅いのか柔らかいのか、それが木地に密着して食いついているのかどうか。例外はあるにせよ、漆器にとって一番大切な事と今は思います。

漆器を手で触れてみると堅いかどうかはわかります。見てわかる様になるには、かなりの時間がかかる様です。私自身は、今になってみれば、多少それが見れるようになったのかもしれません。

良質な漆器の条件として、下地が堅く木地に密着していること。
これは基本的な事と思います。良質な下地がなければ、どんな素晴らしい上塗りも意味がありません。物を見るという眼力などというものはともかく、自分の作る漆器はその基本を守り通したいと思いつつ仕事を続けて来ました。
いろいろな事情で堅地が出来ない場合にはせめて漆が木地に食いつくように工夫を重ねた漆器作りをしてきたつもりです。
そういう事にあまり頓着しないのが現代の風潮なのか随分と横着な下地、それどころか下地をしない漆器が一流作家の作品として堂々とまかり通っている様です。これでは、漆器のファンを増やすどころか減らす一方なのではないでしょうか?


数分間電子レンジにかけた椀は急激に木地が歪み、いかに食いつきを配慮した
下地であっても、塗膜が剥離します。画像の塗膜は電子レンジによって剥がれた
椀の塗膜。

堅地の塗膜。

裏側は着せもの、の布

厚さ1・2ミリ