2015年4月25日土曜日

花と器 その2

仕事場の外に咲く謎の花、、、
後で聞いたら山吹、だそうです。
基本的に僕らの仕事に定休日というものは無くて、今日の様にどんなに御天気の良い土曜日であっても日曜日であっても、やらなければならない事は沢山ありまして、1週間の内お休みなんてたった1日すら無い、、、、と思っているのは自分達だけで、よそ様から見れば毎日お休みの、どんな仕事をしているのか分からない怪しいオジサン、、、、とそんな風に見られているのかもしれない。なんて思ってしまう様な程の良い気候。
こんなに良い日なんだから、と数枚写真を撮ってみました。

干菓子盆

うっすら見える同心円の鉋目。欅の挽物でございます。

高さ3・6センチ 幅19・5×24・5センチ

拡大写真

裏面


2015年4月24日金曜日

フォトジャーナリズム論

いつか動画も撮ってやろうと検討中
僕は写真は報道手段か芸術かと問われたならば、間違いなく道楽だ。とそんな風に思う位写真やカメラは好きで、といっても仮にこのブログで販売促進が大成功して、お財布に充分な余裕ができたならば、ライカのM8やテレエルマリートを手に入れてコンテポラリーな決定的瞬間を撮りまくりたい。なんて、そんな事はほんの少しも思っておりません。ただただ手仕事の健気な現実をブログを介して少しでもお伝えする事が出来れば、、、、とそんな気持ちでブログを記しております。
けれど、先日どうしても欲しくなって購入した本、目を突き抜けて腹に届いた写真、、、であります。

クーデルカ:カオス

こんな重厚な

懐の深い

芸術的な写真の数々

こっちはロバート・フランク

ペルーから
これから仕事、頑張ります。

2015年4月22日水曜日

相田啓介:朱

現代の朱の粉

酸化鉄又は硫化水銀を朱と呼称しますが、酸化鉄をベンガラ(紅柄)、硫化水銀を朱と称する場合が多いようです。硫化水銀は、朱又は辰砂又は丹(に)と呼ばれ古くから重要な鉱物として用いられています。
水銀は毒物ですが、硫化水銀(HgS)は化学的に安定した物質であり、人間の体内に入っても吸収される事もなく、安全な物質です。
日本では弥生時代から朱は顔料として用いられ、埼玉県所沢市の八国山遺跡からは辰砂入り朱漆の紋様が施された弥生式土器が多数出土しています。又多くの古墳から朱の顔料、辰砂が出土しています。辰砂(又は丹)は日本のあちこち採掘されましたが、その土地には丹の字を使った地名が多数残されています。(丹生、丹羽など)特に三重県、奈良県、福井県などに多いようです。
丹は563℃の熱で分解し水銀の蒸気を発生します。また水銀は金や銀などの貴金属と混りアマルガムを生成します。その原理を応用し、金などの精製や渡金(金メッキ)などに用いられました。平安時代には水銀と硫黄を化合して丹を作る技術も発明されたと言われています。
根来(ねごろ)と呼ばれる朱塗の漆器は丹と漆を練り合わせた朱漆で塗られているのは御存じの通りです。天然の丹」は石の粉などの鉱物質と硫化水銀の混合物なので純度を高める為に水洗いする事もあった様です。本来の洗朱(あらいしゅ:橙色の漆の色)とはその様なものです。丹は高価なのでその代用品としてベンガラを用いた漆器も昔から大変多く作られました。現在もベンガラを染料で色付けした顔料を用いた漆器が大半です。
本来の朱は高価な上に扱いが面倒で手間と技術も要します。また印鑑に用いる本来の朱肉は丹が用いられています。
水銀そのものは毒物ですが、化学的に安定した硫化水銀までが危険物質であるかのような昨今の風潮は如何なものでしょう。日本はもとより世界中の土中には微量の水銀が含まれています。また朱を年中用いている漆職人が水銀中毒になったなど聞いた事もありません。
朱には人々の心を打つ独特の美しさがあります。油絵具のヴァーミリオンは朱と油を練り合わせたものです。私は本来の朱塗の漆器を支持します。
箱を開けた現代朱粉

中には紙袋に入った朱粉が、

中身の状態


箱の中に残った朱粉、
綿に刷り込み仕事に使う事もあります。

2015年4月20日月曜日

桜日和

部屋の窓から
今日から禁酒
ここ数日間にあっという間に庭の花々等咲乱れ何だかお花見気分。夜になると高揚した雰囲気でついつい飲み過ぎ気味になってしまいます。「明日からは禁酒、今日で飲み収め」と連日最後の晩餐をしております。1日だけなら最後の晩餐になるのでしょうが、連日続くと毎日1人晩餐会状態でお財布と肝臓がボロボロになるだけであります。何もよい事がありません。今晩から絶対に禁酒だ、ビールの一口すら飲まないぞ、と強い信念を抱きながらブログを書いております。
という事で先日出来上がったスプーンの紹介です。

少し大きめ取分け用の匙
別なアングルからの画像
、、と今回は画像が3枚だけでございます。


2015年4月16日木曜日

カタルシス


催眠カタルシスの名人フロイト
ここ数日何だか暖かい。と思っておりましたら庭の梅やら道々の桜がもう咲き初めており、何か精神の浄化作用があるような、無いような、、、。浮き足立つ気持で、兎角何か春らしいカタルシスは紹介出来ないのか、と思いカメラを手にあれこれ撮ってみました。
前菜皿
上の皿は前菜とちょっとしたお菓子などのお皿に、と作った品。春が似合うと思っているのは作者だけでしょうか?                  相田啓介作 

別の角度から
少し拡大写真
                                           
梅の花と前菜皿
束の間のカタルシス









2015年4月15日水曜日

火星人襲来





昨日今日とブログのPRを兼ねたメッセージカードを制作しておりました。今回の図柄は僕らの思想や観念などが末広がりに伝わりますようにと願って上のデザインにしてみました。沢山摺り上がった様子は火星人の襲来か、、、とそんな風にも見えなくもないのですが、これで何とか販売促進になれば。と思っております。
版画の下書き
版木制作の途中
完成した版木その1
版木その2






2015年4月11日土曜日

相田啓介:漆器産地

中世の漆器
中世に漆器産地が存在したかどうかは分かっていません。広島県福山市の草戸千軒遺跡(中世末期)には漆器工房と思われるものがあるそうです。しかしそれは漆器産地址とはいえません。
やはり、流通経済が発達した江戸時代以降に漆器産地は成立したと思われます。そこに漆器の材料が豊富にあるという理由だけで産地が成立した訳ではありません。
産地を一言で語るならば漆器製造、流通、それぞれに細かく枝分かれした、それぞれの人々の有機的な結びつきこそがその本質です。
秋田県川連の様に近隣の人々の為の小さな産地もありますし、会津のように藩の経済を支える為の大きな産地もあります。また輪島のように手のかかった高価な商品をじっくり売り歩くという産地もあります。その土地その土地の様々な条件に応じて多くの漆器産地が発展し、また消え去り現在に至っています。
高度な科学技術の発達に伴う大量生産そして大量消費、それら資本主義経済の増大など大きな流れとなって、全ての手工芸を押し流し、消し去ろうとしています。近い将来全ての漆器産地は消滅するでしょう。その中で作り手個人個人がどの様にして、どれだけ生き残れるのでしょうか。
漆は美しく丈夫な素晴らしい素材です。他に代用のきかぬ素材です。漆の良さを最大限に生かすことが漆を文化として遺す唯一の道であり、私達漆器工人の使命です。
長角弁当


2015年4月5日日曜日

大産地通信その1

昨日は月蝕。けれど撮影に失敗。
昨日夜考えていた事なのですが、というか、前から漆の事をいろいろと説明する前に、産地について書いておかねば、と思っておりました。
なので今回から数回に分けて産地について考えてゆこうと思っております。
仕事場にて考え中。
私たちの身の周りに在る全ての物には、かつても今も作られた場所、つまり産地があります。
数百年前の大昔から人類は、どこそこの物はここより良いとか、いまいちだ、とか安くて便利だ、、、とかそんな価値付けを繰り返しているような気がします。
基本的にはかつての産地の物とはその土地の名産品、名物のことでその土地の立地や気候に即した素材と工法で作られた物でした。
例えば陶磁器だと、その土地その土地で採れる陶土でしか作ることのできない物で、土が違えば色や形は勿論、作られるものの種類まで限定される様な場合もあります。土のある所に人が集まり産地になるという様なことを聞いたことがあります。
けれど漆器産地の場合、陶磁器の産地とは少し違った成立ちのようです。というのも、木地の材料となる材木は日本中どこにでも生えており、塗料となる漆の木にしても植林さえすれば日本中どこででも育つのです。ですから自ずと日本国内の漆器産地はおしなべて似たり寄ったりの材料を使って器を作ってゆくことになります。                

仕事の様子