2017年10月24日火曜日

だんだんダン族的な。

展示会のDM。玉川高島屋本館5階 器百選 11月29日~12月5日まで。


今日のブログはSNS等の画像を纏ただけ、、、、なのですが、
ここ数週間の制作分のスプーンの紹介です。

この手のスプーンは最初茶葉を掬う為にと薬壺(茶壺)とのセット品だったのですが、入門編的な感じで一本売りもしてみようと今回の展示会用に作り足すうちに、いろいろと創作意欲が湧いてきて気が付いたらこんな感じのバリエーションになってしまいました。

最初のイメージとしてはアフリカのダン族のスプーンが制作のヒントになっていて、そういった未開地の創作物のイメージを意識して制作しました。

しかし、この未開地の創作物のイメージというのがなかなか厄介で、フォルムを面白くしよう、とか美しい形にしよう、、、などという邪念がよぎるとどうしても現代人的な造形になってしまって上手く行かないので、なるべく淡々と作っていく、、、というのが製作の上でのちょっとしたコツです。

意外と簡単そうでなかなか手強い、、、、造形ですが展示会用に纏めて出すことが出来たら、と思っています。





作り始めはこんな感じの実用的なものを意識した。

割と地味な感じになった。

拭き漆でサラッと仕上げるので、茶葉も映えると思う。

ちょっと製作の時系列に画像が並んでいないのですが、

糸を付けるタイプも作ってみた。

直近のもの。作り慣れてきたら結構きわどい感じの線も出せるようになった。

きわどい系2本。

昨日までの制作分。これで全部。



淡々と作っている割にはなかなか量ができない、、、といった感じです。

2017年10月3日火曜日

相田啓介:爆弾漆

爆弾漆とは、戦時中、軍需工場で兵器の素材として使用され、敗戦時のどさくさに紛れて持ち出され、曲折を経て民間に流出した漆のことです。大変良質なうるしであったそうです。
私の父が戦後それを手に入れて使用した経験談を聞いたことがあります。そして、私も嘗て、入手してそれを塗った経験があります。
漆は年数を経るに従い粘度が高まり、40~50年もすれば、その漆にへらを突き立て、そのまま漆を容器ごと持ち上げられる程になります。勿論使用は困難です。中国産漆の場合は、それをそのまま棄ててしまうより他に仕方がないのですが、日本産漆の場合は新しいサラサラの漆と混ぜて使用できますが、使いにくいものです。
爆弾漆は数十年前の漆にも拘らず、思ったほどひどい粘度ではない場合が多いようです。
余程良質の漆と思われます。
昭和30年代以前は油やその他の混ぜ物を入れ増量した日本産生漆が大変多かったと聞いています。現在ではもちろん、そのようなことは皆無です。むしろ品質を競い合っているというのが今の日本産生漆生産の現場の姿です。
軍事目的の漆ともなれば、ほんとうに質の良い漆が集められたのではないでしょうか。
それはどのような目的、用途に使用されたのでしょう。
司馬遼太郎作品「坂の上の雲」でバルチック艦隊を迎え撃つための砲撃の訓練を重ねても
火薬が湿気のために劣化して的になかなか当たらない件がありました。その湿気を止めるのに漆が使われたのではないかと私は想像しています。
太平洋戦争の時、漆工として軍需工場に徴用されたのは、主に輪島のそれも腕の良い塗師
であったと聞いています。私の知る輪島の故人は飛行機の補助タンクを塗らされたそうです。また、私が木地を御願いしていた会津の細工物の木地師は徴用されて、木で飛行機の尾翼を作っていたとのことです。
漆塗りの兵器や木製の戦闘機、和紙を貼り合わせた風船爆弾など、工芸の力を頼んでまでの兵器類。ばかばかしさを通り越して、おぞましくさえあります。

ともあれ、爆弾漆と名称は強烈ですが、中身は飛び切り良質な、年代物の漆のことなのです。
肉持ちがよく、香りも良く、強く、そして年代物の日本産漆の特長として、うまく乾いた
ときの漆肌は別格の美しさです。
白熱電球などの波長の長い光の下で見るとキラキラと耀き、真珠のような、あるいは
西アジアのラスター彩の様なひかりを放ちます。ただしその漆の扱いは非常に難しく神経を悩まされることになります。
数年前、親しい友人より頂戴した戦前の漆が、どうやらその爆弾漆とおもわれるのです。
友人は師匠から授かった戦前の漆とのことですが、貴重なものと知って分けて下さったものです。
その漆を、思い切って使ってみることにしました。どんな塗り物になるのか、楽しみと不安が混じった気持ちです。




爆弾漆で拵えた朱漆

爆弾漆を漉した漉し紙

漉し紙

漉し紙とお椀