仕事場の外に咲く謎の花、、、 後で聞いたら山吹、だそうです。 |
2015年4月25日土曜日
2015年4月24日金曜日
フォトジャーナリズム論
2015年4月22日水曜日
相田啓介:朱
現代の朱の粉 |
水銀は毒物ですが、硫化水銀(HgS)は化学的に安定した物質であり、人間の体内に入っても吸収される事もなく、安全な物質です。
日本では弥生時代から朱は顔料として用いられ、埼玉県所沢市の八国山遺跡からは辰砂入り朱漆の紋様が施された弥生式土器が多数出土しています。又多くの古墳から朱の顔料、辰砂が出土しています。辰砂(又は丹)は日本のあちこち採掘されましたが、その土地には丹の字を使った地名が多数残されています。(丹生、丹羽など)特に三重県、奈良県、福井県などに多いようです。
丹は563℃の熱で分解し水銀の蒸気を発生します。また水銀は金や銀などの貴金属と混りアマルガムを生成します。その原理を応用し、金などの精製や渡金(金メッキ)などに用いられました。平安時代には水銀と硫黄を化合して丹を作る技術も発明されたと言われています。
根来(ねごろ)と呼ばれる朱塗の漆器は丹と漆を練り合わせた朱漆で塗られているのは御存じの通りです。天然の丹」は石の粉などの鉱物質と硫化水銀の混合物なので純度を高める為に水洗いする事もあった様です。本来の洗朱(あらいしゅ:橙色の漆の色)とはその様なものです。丹は高価なのでその代用品としてベンガラを用いた漆器も昔から大変多く作られました。現在もベンガラを染料で色付けした顔料を用いた漆器が大半です。
本来の朱は高価な上に扱いが面倒で手間と技術も要します。また印鑑に用いる本来の朱肉は丹が用いられています。
水銀そのものは毒物ですが、化学的に安定した硫化水銀までが危険物質であるかのような昨今の風潮は如何なものでしょう。日本はもとより世界中の土中には微量の水銀が含まれています。また朱を年中用いている漆職人が水銀中毒になったなど聞いた事もありません。
朱には人々の心を打つ独特の美しさがあります。油絵具のヴァーミリオンは朱と油を練り合わせたものです。私は本来の朱塗の漆器を支持します。
箱を開けた現代朱粉 |
中には紙袋に入った朱粉が、 |
中身の状態 |
箱の中に残った朱粉、 綿に刷り込み仕事に使う事もあります。 |
2015年4月20日月曜日
桜日和
2015年4月16日木曜日
2015年4月15日水曜日
2015年4月11日土曜日
相田啓介:漆器産地
中世の漆器 |
やはり、流通経済が発達した江戸時代以降に漆器産地は成立したと思われます。そこに漆器の材料が豊富にあるという理由だけで産地が成立した訳ではありません。
産地を一言で語るならば漆器製造、流通、それぞれに細かく枝分かれした、それぞれの人々の有機的な結びつきこそがその本質です。
秋田県川連の様に近隣の人々の為の小さな産地もありますし、会津のように藩の経済を支える為の大きな産地もあります。また輪島のように手のかかった高価な商品をじっくり売り歩くという産地もあります。その土地その土地の様々な条件に応じて多くの漆器産地が発展し、また消え去り現在に至っています。
高度な科学技術の発達に伴う大量生産そして大量消費、それら資本主義経済の増大など大きな流れとなって、全ての手工芸を押し流し、消し去ろうとしています。近い将来全ての漆器産地は消滅するでしょう。その中で作り手個人個人がどの様にして、どれだけ生き残れるのでしょうか。
漆は美しく丈夫な素晴らしい素材です。他に代用のきかぬ素材です。漆の良さを最大限に生かすことが漆を文化として遺す唯一の道であり、私達漆器工人の使命です。
長角弁当 |
2015年4月5日日曜日
大産地通信その1
昨日は月蝕。けれど撮影に失敗。 |
なので今回から数回に分けて産地について考えてゆこうと思っております。
私たちの身の周りに在る全ての物には、かつても今も作られた場所、つまり産地があります。
数百年前の大昔から人類は、どこそこの物はここより良いとか、いまいちだ、とか安くて便利だ、、、とかそんな価値付けを繰り返しているような気がします。
基本的にはかつての産地の物とはその土地の名産品、名物のことでその土地の立地や気候に即した素材と工法で作られた物でした。
例えば陶磁器だと、その土地その土地で採れる陶土でしか作ることのできない物で、土が違えば色や形は勿論、作られるものの種類まで限定される様な場合もあります。土のある所に人が集まり産地になるという様なことを聞いたことがあります。
けれど漆器産地の場合、陶磁器の産地とは少し違った成立ちのようです。というのも、木地の材料となる材木は日本中どこにでも生えており、塗料となる漆の木にしても植林さえすれば日本中どこででも育つのです。ですから自ずと日本国内の漆器産地はおしなべて似たり寄ったりの材料を使って器を作ってゆくことになります。
仕事場にて考え中。 |
数百年前の大昔から人類は、どこそこの物はここより良いとか、いまいちだ、とか安くて便利だ、、、とかそんな価値付けを繰り返しているような気がします。
基本的にはかつての産地の物とはその土地の名産品、名物のことでその土地の立地や気候に即した素材と工法で作られた物でした。
例えば陶磁器だと、その土地その土地で採れる陶土でしか作ることのできない物で、土が違えば色や形は勿論、作られるものの種類まで限定される様な場合もあります。土のある所に人が集まり産地になるという様なことを聞いたことがあります。
けれど漆器産地の場合、陶磁器の産地とは少し違った成立ちのようです。というのも、木地の材料となる材木は日本中どこにでも生えており、塗料となる漆の木にしても植林さえすれば日本中どこででも育つのです。ですから自ずと日本国内の漆器産地はおしなべて似たり寄ったりの材料を使って器を作ってゆくことになります。
仕事の様子 |