2016年12月29日木曜日

スモーーーク。

雪印の普通に売っているチーズを使う



ここ数日、どうにも天気が優れず雪もちらつき何だか気分も憂鬱です。
この憂鬱な気持ちを乗り切る為に先日のスモークチーズ作りのご報告を今日はしたいと思います。スモーク、とは煙。あるいは煙のような蒸気、霧。を意味する言葉です。このスモークで純白のチーズを燻し水分をゆっくりと抜いてゆく、というのが燻製の基本的な方法かと思われます。
この、燻製作りの弱点は秘伝のタレや隠し味としての調味料、美味しく作る為のチョットした一手間などを全く受け付けないということです。
秘伝のタレがあればブログを書くのにどれだけ楽な事か、、、、と思います。
例えば、コニャックとラム酒を混ぜあわせたものにイチジク、レモンを漬け込みハーブなどで風味付けをした秘伝のタレ的役割のソースにプロセスチーズを一晩漬け、それを少なめの煙でじっくりと熱がかからないように燻煙していきます、、、、、などと説明していった場合ブログの読み手に対して「ああ、なるほど」的な心的効果を付与し、更に希望に満ちた楽しげな印象を与え、博識であることへの何かしらの説得力のようなものすら感じさせます。
しかし、そんな装飾に満ちた秘伝のタレは燻製はおろかブログすら駄目にする、、、、という現象は燻製業界に如かずよくある事です。ブログに虚偽報告があってはならないのと同じで、タレに付けた燻製は絶対に美味しくない、、、、。地道な燻煙は、日々のブログと似ている、、、、のです。

ということでスモークチーズが出来るまで、のご報告です。

仕事に全く関係ないのですが、、、、、。



チーズは少し大き目に切った方がよりおいしく作れます。

フォトジェニックで大きさの具合が分からないのですが、こんな感じにカット。

こんな感じ。これも、フォトジェニックで分かりにくい。

この写真はフォトジェニック感弱めなので、大きさの具合がわかりやすい、かと。

煙は弱めでじっくりが良いようです。

温度が上がらないように注意します。

このくらいの色で出来上がり。

本当は漆器にチーズを盛り付けた写真を撮りたかったのですが、、、、色々な事情から断念。



2016年12月25日日曜日

相田啓介:まり椀

まり椀とは輪島のレジェンド塗師、故奥田達朗さんが昭和40年代に創作した椀です。当時としては画期的で斬新な何とも美しいその椀に多くの人が魅せられたものです。 
まり、又は毬とは古語で丸い形状の器、つまり椀又は碗のことです。森鴎外の山椒大夫の中で安寿が弟の厨子王に木の「まり」で水を掬って飲み分ける場面が有名です。
「まり椀」とは「椀椀」という事になって、おかしなことになるのですが、「まり椀」とは、何ともかわいらしく、優し気で、美しい命名と、今でも思っています。ですから「まり椀」と言う名称は、奥田達朗さんの創作であり、その椀の固有の名称です。
現在「まり椀」をネットで検索してみて下さい。それこそ山ほどの「まり椀」が出て来ます。それも仕方のないことなのかもしれません。けれども奥田達朗さんの「まり椀」に勝る、又は同等、あるいは近いと思える「まり椀」は一つとして存在しません。
現在も、その「まり椀」は達朗さんの弟の志朗さんが、引き続き製作しておられますし、大阪の工芸店「ようび」で販売されています。
そもそも「まり椀」は弥生時代の土器の碗を製作のヒントとして作られたそうで、その元となる土器は「ようび」のホームページ上で見ることができます。
奥田達朗さんの創作のスタイルは多くの場合、モデルとなる品を長い期間、手元に置き、良く理解を深め、考え、消化し、自分自身の血肉としてから、生み出すのですから、モデルとなる品とは、少しずつ、あるいは、まるで異なった作品となるようです。
「まり椀」もその様な経過をたどって創作されたのですから、弥生の碗とは、かなりの相違があると思われます。
それを、どういう考え違いをしたのかわかりませんが、嘗て奥田さんの周りに居た何人かの人が、
「まり椀」を模作し、販売したのはどういう事なのでしょうか。それも奥田作の「まり椀」の現物を木地屋に丸投げしているのでしょうから、話にもなりません。
塗師が創作又は模作する場合、木地屋に図面なり、現物を渡し、見本挽をし、あるいは見本挽きの現場に立ち会うなり、挽き直しをし、木地屋との様々な遣り取りをして、作るのですが、見本を木地屋に渡し、そのまま木地屋の才覚に任せて作ってしまうのを丸投げと言っているのです。それはその塗師が普段どのような製作をしているのかを見ていれば、大体は想像がつきます。
仮にyさんとしましょう。亡くなられたので故yさんは、それを大量に作り続けられた様で、「ようび」さんが抗議されたのにも拘らず「生活がかかっているから」とのことで,止むことはなかった様です。
そのyさんの肩を持った人、仮にY・Yさんと呼びましょう。そのY・Yさんは私の親しい友人でしたが、その事で口論をし、その後絶交しました。実は創作に対する考え方の相違は、私にとって重大な事なのです。
私の作った面取りの弁当箱は日本民芸館の陶箱をそのヒントとしたものなのですが、それを『yさんがやった事と同様を、お前さんもやっている。」と主張するのですから、絶交も仕方のなかった事と、今も思っています。
その弁当箱からの派生として三段の重箱を作ったのですが、作って一年もしない内に長野県の少しは名のある木工作家が、ほとんど同じ様な形状の三段の箱を作ってDMに使用しているのを見て愕然としたものです。また、その重箱は、今ではごく普通のポピュラーな型として、輪島などの作家達が、少しづつ変化をつけて作品としているのですから何も言うことはありません。

話を戻しますが、最近,旧知のOさんという方が、やはり「まり椀」らしきものを「まり椀」として、個展に出展しているのを、ネットで見かけました。おそらく木地屋に「まり椀」の現物を丸投げしたのでしょうが、Oさんと木地屋の能力の低さの故でしょうか、現物とは少し感じが違うのは、救いであったと思いました。
書いているうちに、腹が立ってきて、ひどい文章になってしまいました。

このままでは、消えてしまうかも知れない漆の仕事が生き残る為の道は、美しく、丈夫な、良い漆器を新たに創作する事と私は信じています。安易な模作、コピー、パクリは創作とは違います。
そんな物は、人の心に響きません。旧来の産地問屋のやってきた事と同じでは、ありませんか。
漆の仕事の将来への道を、狭める行為と私は思います。

私の尊敬する鳴子の故沢口滋さんが新版「日本漆工の研究」のあとがきに残された一文を披露したいとおもいます。


・・・・・伝統的な手工芸の危機が叫ばれてから久しくなります。私は写真取材に歩いた産地の旅で、どこの産地も例外なく後継者の不足、技術の低下、市場の不安定に、苦しんでいる事を知りました。また漆の仕事を支えてきてくれた木地作り、漆掻き、刷毛作り、漉し紙すき等に従事する多くの人々が、更に恵まれない条件の下で、働いている姿を見ました。生活様式の変貌とともに迎えた大量消費時代の中で、私達の祖先の生活と共に活きて来た漆の仕事は、今や消えてゆくかに見えます。一企業、一産地の問題として、その解決の道を見出す事は出来ません。それは、漆工全体の問題として対応されねばならないし、単に伝統の継承や技術保存ではなく、創造という新しい時代の積極的な参加の中で、考えねばならぬ事だと思います。自らが使う為に自ら作ったという工芸の生い立ちは、今日の巨大な生産機構から流れ出す夥しい消費財の洪水の中で、失いつつある自由な魂の回復への手がかりとなる事と信じます。・・・・・・
1966年4月28日   沢口滋

50年前 沢口さん40才の文章の一部です。
故沢口さんは、革新的な考えを持っていた、すばらしい工芸家です。
今はないyさん、Y・Yさんに詫びながら、この文を書きました。


相田啓介作面取りの重箱。高さ18センチ。

18・5㎝×16㎝。









2016年12月15日木曜日

マイスプーン時代。

お歳暮にいただいた1970年代のガチャガチャのおまけ。シブイ、、、


今日は体調不良のため、ブログもかなりの短文なのですが、先日ようやくゲットした高麗スプーンの画像紹介。です。
以前からいろいろ古そうな匙は集めているのですが、今回のはかなり面白い、、、、です。


高麗スプーン。

今回ゲットしたスプーンが上の画像の物なのですが、何が凄いかというと、ハンドル先端部分に瓢箪型の突起がついている、、、ことです。
写真下の右の物がこの時代のスタンダードなスプーンなのですが、大体こういった海老の尻尾のようなイメージの物か、装飾のないチョキンと切れた形のハンドル先端部分のデザインで蓮の花びら型のボウルトップが付いている、、、というのが14~15世紀の朝鮮半島の匙のオーソリティーかと思われます。

2本並べてみた。右がスタンダードな形のもの。

ボウルトップもチョット違う。

見せ場のハンドル先端部分。キテレツ大百科のコロ助、、、、、が脳裏をよぎる。

こういうものを集めていると何だか昆虫採集をしている様な気分になる、、、、。社会性を全く見失った感じがあります。

こっちは自作スプーン。ちょっと高麗スプーンをイメージしてみた。

反対側は、クローバーっぽい感じで、

こんな感じ。

と言う感じでスプーン自慢、、、になってしまいましたが、恐らく世の中の大多数の人はこのような自慢話をされても全く享受できぬ、、、、と思われます。
サラッと流していただければ幸いです。

このお歳暮が凄くシブイのです。40年前のガチャガチャはとてもハイカルチャーだったのです。

2016年12月10日土曜日

メタ、メタファー。

会津の仕事場付近の交差点。

先日の展示会では、皆様に沢山買っていただいたおかげで最終日に近づくにつれその夥しい売上から少しづつ売場を拡大し、最終的には地下2階から地上8階までの全フロアに作品を並べる事となり、高島屋を貸し切った形での大漆器展をすることができました。そして会期も7日間から7か月というロングスパンへと変更するよう会場側から懇願され、今は8階の社長室でコニャックを飲みながら日よけのブラインドを覗き込み外の喧騒を懐かしむ思いもさながらブログの更新ををしています。

商売というものは、多少虚栄を張る事が要求されます。たとえ、どんなに貧困のドツボであろうとも涼しい顔ををしていなければならず、今日明日の命にかかわるほどの空腹であっても、ランチの誘いをキッパリ断る、、、、それが、例え誰かのおごりであっても、、、、、といった忍耐力は、物を売る、、、というある種身を削った経済活動の中核であり、そういった力は努力や思想などで補うことなど出来ないのかもしれません。

もし、僕が今本当は、展示会で失敗してその負けこんだ借金の為にベーリング海沖の密漁船に乗っていようとも、ボリビア国境付近の銀山で肉体を酷使する仕事をしていようとも、そういった現実はブログの読み手には絶対に気づかれてはならないことなのです。

しかしながら7日間の展示会を通して感じたことは、こんな変なブログであっても、ささやかな共感が存在し展示会へ行ってみようという優しさにも似た行動が、更には工芸品を使ってみよう、、、という思いが芽生えた、、、、、という事です。
恐縮するとともに、この感謝の気持ちは暗喩など出来ないようです。

今回の展示会へ来て下さった皆様、大変ありがとうございました。


変形の紅茶入れ。

高さ:9.5㎝。幅:9.5㎝

スプーンが付属。



むんずと持てる様に刀痕のままの仕上げ。

2016年12月2日金曜日

ビルヂング。

日本橋高島屋7階にて展示会中。

本日3日目、12月5日まで、


展示会期間中のブログ更新、数時間でサラッと書き上げて明日の為に早く休もう、、、、、と思いながらパソコンの前に座り始めてもう2時間以上が経ちます。
なるべく今回の展示会の事をお伝えしよう、、、、、、と思っているのですが、カメラの中の画像はどれもこれも会場の風景とは全く関係の無いものばかり、、、、、。

おそらくは、展示即売という不慣れな事をするあまり、肉体的に疲弊し食べ物にしか興味がなくなってしまった、、、、、、ということなのだろうと思います。

ここ3日分の画像の内容、、、、、は7階の食器売場から地下2階への階段の上り下りと社員食堂のメニューの数々。


今、この画像を見て断言出来る事は階段の昇り降りでお腹が空いて何も考える事が出来なくなった場合、人間は食べ物の写真しか写す事が出来ない、ということです。
これは、怖い話を聞きすぎて撮った写真が全て心霊写真に見える、、、、といった現象とよく似ていて精神的だったり肉体的だったり何かが疲弊した場合それを補う為の現実を可視化する、、、、という事なのだろうと思われます。

と、いう事で今日は展示会場の高島屋7階の食器売場の空腹感はどのようなものかという事を具体的にご報告したいと思います。







社員食堂は地下2階。

数々の階段の中で最も空腹的な一段。

この奥には、、、

本日の日替わりメニューはサンラータンメンとの事。

揚げ物の数々。

色々迷うも結局サンラータンメンにしよう。と思ったのでした。

サンラータンメンを頼んだのですが、実際目の前に出てきたのは普通のラーメン。

彼もまたサンラータンメンを注文。


地下2階の麵類、は手厳しい、、、、。


相田啓介漆工芸展日本橋高島屋7階食器売場12月5日まで、よろしくお願いいたします。

2016年11月26日土曜日

ロンリーボーイ。

展示会前のブログは今日で最後かと思います。


「自分は昭和21年生まれです。家業が漆器製造業であった事から幼い頃から工芸品が身近にあり、何とはなしに工芸品がどういった苦悩のもとに作られるのか、という苦労を目の当たりにして育ってきました。ですから、工芸というものの本質を自分なりに理解しているつもりです。ですが、元来無口な方でそういったことを語る術を知りません。

18歳の頃だったと思います。日本侠客伝という映画をとあるきっかけで見る事になり、その主人公のさり気ないニヒリズムに心を撃たれ、憧れるようになりました。

それからは、そういった任侠映画を率先して見る様になり、少しづつですが饒舌であることに疑問を抱く様になっていきました。そういった映画の中の人々はとても自由に生きている様に思えてなりません。敬仰する眼差しは何時しか喋らない男はカッコイイ、ダンディーだ、、、、、、と自分の中で無口である事が何かの象徴と思う様になっていきました。

その後、酒に手を染めるようになってからは、ますますそれに磨きが掛かり今日ではすっかり寡黙な男となってしまいました。
こうした日々の研鑽の賜物である孤独のブルースはそうそう誰でも貫き通すことはできないし、まして楽しいおしゃべりなんてもってのほか。哀憐は孤独は陶酔の中にしか存在しないのです。」


、、、、、、と父啓介は思っているかどうかは分かりませんが、11月29日からの展示会は父は会津若松で留守番です。息子が売り場に立つ、、、、、、という事になっております。
どうぞよろしくお願いいたします。





新作レンゲ型、

のスプーン。

長さ:15㎝ 幅4㎝ (長さは色々と違います)

握り具合も良いかと。

裏面。

どうぞよろしくお願いいたします。

今回も時間的な余裕がない為、変なブログになってしまいました。

2016年11月24日木曜日

三つの神話。


バタピー。



らっかせい。このブラジル原産のマメ科の食物は何時頃からこの国の大衆的な食べ物として食品売場の棚に陳列されるようになったのでしょうか。どういった調理がなされ、この不思議なビニール製の袋にどういった方法で詰められているのでしょうか。幾つかの疑問を心の中で反芻しながら今日はブログを書いてみようと思います。

ふつう工芸家の展示会というものは事前に、その作家の自己紹介やプロフィール等の自分自身が何者であるかを説明する見出しやタイトルを設ける事が暗黙の了解となっており、今回の我々の展示会のDMも写真の面の裏側にはしっかりとその事が明記されています。

これと同じように、このマメ科の食品もそのビニール製のパッケージの裏面には前述の幾つかの疑問を解明する何らかの手がかりか、食物自体の詳細な説明が表記されていなければならないはずです。
が、しかし裏面の記述には不思議なことが書かれていました。
これから、その予言ともとれる寓意について考えてみようと思います。

そこには「三つのこだわり」という題名の寓話が書かれています。
1)中国、山東半島で収穫した落花生を100%使用。
2)粒ぞろいの伝統種大粒落花生を使用。
3)風味ゆたかなバタピー
といった物語ふうの実にポエティックな文章が書かれており、何かの暗示であることを予感させるのでした。少しこの寓話をかみ砕いてゆこうと思います。

1)は物語のプロローグにあたる部分で、中国を舞台にした話だということが抒情的に説明されており、尚且つ数学的理論に基づいた100%ノンフィクション、、、、、という事を客観的に説明しています。
第2章では、このマメ科の食物を慈しむ思いから、「粒ぞろい」「伝統」などの過激な修辞を駆使した現実を超越した空想上の神話が展開され問題の第三章へとつづいてゆくのです。
そして最終章なのですが、「こだわり」というにはほど遠いあまりにも主観的な、この食物を作者が食した場合の感想めいた、、、、、事が書かれているのでした。
この第三章を理解せずして、この「三つのこだわり」という寓話を語る事はできないのですが、こういった哲学的なアレゴリーは数々のリテラシーの上に立脚しており、歴史が言葉がどういった経緯で人々の理解というものの成形素材となっているのかといった、本質的な直感性を通過した先に答えがあるのだろうと思われます。
ミスティフィカシオンなのか、感動のラストシーンなのか、、、、、、。


こういった要素は工芸品にもあるのかもしれません。


工芸はミスティフィカシオンなのか、それとも感動のラストシーンなのか、、、、、。

という事で今日も展示会のアイテムの紹介です。






相田啓介作:塗り分けの片口。

口径:4寸5分 (口含まず)




バタピーをお摘まみに、、、、。

神話は裏に書かれている。


展示会11月29日から12月5日まで、日本橋高島屋7階にて。
どうぞよろしくお願いいたします。