2015年4月11日土曜日

相田啓介:漆器産地

中世の漆器
中世に漆器産地が存在したかどうかは分かっていません。広島県福山市の草戸千軒遺跡(中世末期)には漆器工房と思われるものがあるそうです。しかしそれは漆器産地址とはいえません。
やはり、流通経済が発達した江戸時代以降に漆器産地は成立したと思われます。そこに漆器の材料が豊富にあるという理由だけで産地が成立した訳ではありません。
産地を一言で語るならば漆器製造、流通、それぞれに細かく枝分かれした、それぞれの人々の有機的な結びつきこそがその本質です。
秋田県川連の様に近隣の人々の為の小さな産地もありますし、会津のように藩の経済を支える為の大きな産地もあります。また輪島のように手のかかった高価な商品をじっくり売り歩くという産地もあります。その土地その土地の様々な条件に応じて多くの漆器産地が発展し、また消え去り現在に至っています。
高度な科学技術の発達に伴う大量生産そして大量消費、それら資本主義経済の増大など大きな流れとなって、全ての手工芸を押し流し、消し去ろうとしています。近い将来全ての漆器産地は消滅するでしょう。その中で作り手個人個人がどの様にして、どれだけ生き残れるのでしょうか。
漆は美しく丈夫な素晴らしい素材です。他に代用のきかぬ素材です。漆の良さを最大限に生かすことが漆を文化として遺す唯一の道であり、私達漆器工人の使命です。
長角弁当