2015年6月20日土曜日

相田啓介:姫田忠義さん

民族文化映像研究所のメッセージ
育ち行く純なるものへ:姫田忠義
2年前に亡くなられた姫田忠義さんは数多くのかけがえのない映像を残された方です。映像、文章を通じて私達の生き方社会のあり様の根本を常に示されました。
「奥会津の木地師」は昭和51年の制作ですが、昔の職人尽し絵などで見るような、手で縄を引き回転させて木地を挽く実際の映像を残されています。またブナの丸太からヨキでお椀の荒型を起こす映像もあります。私はその撮影現場に立ち合う幸運に恵まれました。昔の木地師の技を今もありありと思い出します。見る度に素晴らしい映画だと思います。
「越後奥三面 山に生かされた日々」も心を動かされる場面も数多く、もっともっと多くの人に見てほしい映画だと思います。最後にマタギの老人の心が昂って昔の熊狩り装備をして吹雪の中深い雪の坂を昇るシーンがありました。老人の木地師もそうですが、決して芝居や演技をしているのではなく、その時その瞬間、老人達はマタギあるいは木地師として生きていたのだと思います。また「山に生きた日々」ではなく「山に生かされた日々」であって、深く心に沁みる言葉と思います。ゼンマイ採りのシーンで、二本出たうちの一本だけを摘み取って残りは来年の為にとっておく場面がありました。来年はダムの底になってしまうのにその様にしていたのです。その場その時良ければいいという現代の風潮とは違う豊かな心のあり様だと思います。
姫田さんの映像は今となっては消え去って再現する事が出来ないものばかりです。よくぞ残してくださったと思えるものばかりです。沢山の名作のうち私が観たのはほんの一部に過ぎません。もっともっと観たいものです。本当に宝石の様な数多くの映像を残された、後々の時代まで語られるべき人です。

全然関係の無い事なのですが、先日部屋の掃除をして、何だ
か久々にオリベッティーを引っ張り出してみました。
現在のパソコンキーボードもこの位の押し応えあったらなあ
などと思います。
キーボードもかつては一文字づつ確実に打ち込んだのだろう
、と昔の堅実なリアリズム?に心打たれた、、、のでした。