根来の古い椀 17世紀 |
その裏 |
私はある時期まで椀に特別な意識を持った事はありませんでした。
子供の頃会津塗りの椀をあてがわれ、会津塗りであるが故しばらく使うとひび割れが生じ、又しばらく使うと下地ごと漆の層が剥がれ、木地が見える。それがとても嫌に思ったものでした。
正月になると新しい椀を貰い嬉しかったと記憶しています。その後プラスチックの素地に漆を塗った椀を使用する様になり塗膜が剥がれたりする様な事もなく、結構丈夫で椀にどうという感慨を持つ事もなくすごした様に思います。
漆の仕事をするようになってからも錆下地の椀を作った事もありましたが、椀などは特になんという事もない漆器の一つと思っていました。
昭和48年、宮城県鳴子町に旅行した折に龍文堂という小さな漆器の店を尋ねました。蒔絵の無いシンプルな形の漆器が並んでいました。とても丁寧な仕事をしているのが私にも判りました。店主は沢口滋さんという方です。7寸位の朱塗の鉢がなんとも美しく気に入り買ったと記憶しています。
沢口さんは私を裏の自宅に招き入れて下さいました。そして沢口さんが家族と使っておられる椀や皿や鉢などの沢山の漆器を見せてくださり、とりわけ数多くの椀類に心が惹かれたのを昨日の事の様に覚えています。
沢口さんは私を裏の自宅に招き入れて下さいました。そして沢口さんが家族と使っておられる椀や皿や鉢などの沢山の漆器を見せてくださり、とりわけ数多くの椀類に心が惹かれたのを昨日の事の様に覚えています。
それぞれの椀は穏やかで静かな個性に満ち、暮らしの中で美しく輝いているように思えました。
「これは輪島の奥田君の作った椀。これは鳴子の伊東勝英君の椀これは僕の椀・・・・・・・・・」
こんな世界があったのかと思いました。私もこんな椀を作れる様になりたい。作ってみたいと思いました。
その頃から急に古い物に興味を持つようになり博物館や美術館等へも足を運ぶようになってしまいました。沢口さんの椀を見てから急激に工芸の虜になってしまったのです。この時以来、私にとって椀は特別なものになったのです。