katakata特製フィギュア。 |
katakataの手ぬぐい |
若き日々の思い出というものは、その時々で感じている事と時間を経て感じ入る事々では大分その印象が違う様に思います。
先月、友人の「katakata」さんの所へ行って来ました。もうすでに1ヵ月も前の事なので、大部分の記憶が完璧な熟成状態になってしまい、何を話したのか、何について考え、思ったのか、その断片すら思い出せず、今、こうしてパソコンの前で自分の記憶の熟成ぶりに圧倒されて慟哭しており、思い出そうとしても忘れられない、、、、、、といった、ある種相克する感情が入り乱れております。
紀行文としての機能を完全に消失しているのですが、ただ、作品の姿は鮮明に脳裏に焼き付いており、未だにその物欲すら冷めやらぬ気持ちでいるのです。
その作品たちの優れたデザインは、独特の風通しの良さを兼ね備えており、煮詰め過ぎない「透明感」が文様として完全に機能し、手ぬぐいであれバックであれ、その対象物が何であろうとさらりと収まる順応力をもった説得力の強い図案なのです。
今、色々と言ってみたところで何も始まらないのですが、次また行くときは買い占めるぞ、、、、などと身の丈にそぐわない思いの込み上げる、そんなお店でした。
katakataさん先日は、どうもありがとうございました。