今回出すはずだった展示会用アイテム。 |
4月27日~5月3日の展示会は昨今の状況を考えて中止、、、となりました。現時点では6月24日から1週間のスパンで、延期(場所は変わらず)という感じなのですが実際のところ現状が6月までに収束するということはあまり現実的ではないようにも感じます、、、、しかし年間2回の展示会で生計を立てている身からすると、今回の宣言は実際のところ緊急事態を通り越して限りなく「死」に近い、、、、ようにも思えます。
なので、ちょっと近日中にSNS上で通販的な感じ?のアイテム写真に値段を晒して「気になった方メールください」的な感じの営業活動をしようと思っています。。。
今回のブログでは、前回紹介のブタのコンセプト(?)というか、制作動機みたいなところをお話しいたします。(たぶんブタは↑の通販には出さないと思います)(でも、アンコールがあったら背に腹は代えられないので何でもやります)というぐらい追い詰まってます。
で、ブタのコンセプトなのですが、丁度年末に東博にウサギをスケッチしに行った時に明治時代の自在置物をチラッと本館で見たときに何とも言えないニヒリズムを感じたことに端を発してます。
たぶん、一方的な見解なのですが、工芸という江戸時代には当たり前のように存在していた極めて概念的な手仕事が「明治時代」という近世に飲み込まれて今までの概念が変質化して別なものに変わっていく過程だったのだろうと思いました。
もうちょっと嚙み砕くと、西洋の「芸術」の概念や「クラフト」的なものづくりの概念が日本に入って来て江戸以前から脈々と続いてきた工芸的概念が揺らぎ、やがて到達するコンペティション向けの曲芸的な工芸品を目指す、その前夜の作品なのでしょうが、「どうしていいか分かんないよ」的な諦念にも似た気持ちと江戸以前から続く耽美主義的な工芸概念の両方が未消化のまま露骨に反映され、ゴリゴリのニヒリズムが全面的に表出し、何とも言えないパンクバンド感がとても魅力的でした。
したがって、自分もそういったゴリゴリのニヒリズムがやりたくて、、、、、ブタを作った訳です。(三島由紀夫もゴリゴリのニヒリズムを「豊饒の海」とかでやってる)
なので、ジョージオーウェルのオマージュっていうのも、車輪を付けて玩具にしつらえたのも、共にゴリゴリのニヒリズムをやりたくて、そうしなければならない理由がちゃんとあるのです(玩具は大人にとっては無用の存在なのだが、かつては皆子供だったわけで、ちょっとエモさも兼ね備えたニヒリズムな訳です)
端的に言えばちょっとエモいゴリゴリのニヒリズムというのがこの作品の中核、、、なのだろうと思います。。
ゴリゴリのニヒリズムを、 |
ゴリゴリのニヒリズムを、やりたくて、、、、、 |
コロナに、、、 |
コロナにやられたニヒリズム。 |
という感じです。
明後日くらいからSNS上のゴリゴリのニヒリズム通販営業活動を考えております。
どうぞよろしくお願いいたします。