2015年8月26日水曜日

相田啓介:椀

根来の古い椀 17世紀
その裏


私はある時期まで椀に特別な意識を持った事はありませんでした。

子供の頃会津塗りの椀をあてがわれ、会津塗りであるが故しばらく使うとひび割れが生じ、又しばらく使うと下地ごと漆の層が剥がれ、木地が見える。それがとても嫌に思ったものでした。
正月になると新しい椀を貰い嬉しかったと記憶しています。その後プラスチックの素地に漆を塗った椀を使用する様になり塗膜が剥がれたりする様な事もなく、結構丈夫で椀にどうという感慨を持つ事もなくすごした様に思います。
漆の仕事をするようになってからも錆下地の椀を作った事もありましたが、椀などは特になんという事もない漆器の一つと思っていました。

昭和48年、宮城県鳴子町に旅行した折に龍文堂という小さな漆器の店を尋ねました。蒔絵の無いシンプルな形の漆器が並んでいました。とても丁寧な仕事をしているのが私にも判りました。店主は沢口滋さんという方です。7寸位の朱塗の鉢がなんとも美しく気に入り買ったと記憶しています。

沢口さんは私を裏の自宅に招き入れて下さいました。そして沢口さんが家族と使っておられる椀や皿や鉢などの沢山の漆器を見せてくださり、とりわけ数多くの椀類に心が惹かれたのを昨日の事の様に覚えています。
それぞれの椀は穏やかで静かな個性に満ち、暮らしの中で美しく輝いているように思えました。
「これは輪島の奥田君の作った椀。これは鳴子の伊東勝英君の椀これは僕の椀・・・・・・・・・」
こんな世界があったのかと思いました。私もこんな椀を作れる様になりたい。作ってみたいと思いました。
その頃から急に古い物に興味を持つようになり博物館や美術館等へも足を運ぶようになってしまいました。沢口さんの椀を見てから急激に工芸の虜になってしまったのです。この時以来、私にとって椀は特別なものになったのです。




2015年8月18日火曜日

スイスでは無塩バターが主流だそう。

スイスの無塩バター

なけなしのお金で買ったウィスキー。
昨日の事なのですが、スイスのお土産に、と無塩バターを頂いたのでせっかく頂いたのだから、、、と何か面白い料理を、、、、と考えてはみたもののなかなかバターが主役の料理なんてそうある訳でも無く、とりあえずと刹那的に思うがままレーズンバターなるものを作ってみました。
ただインターネットで調べたままのレシピでは面白くないのでお財布の中の全財産でウィスキーとシェリー酒を購入し密かに最後の晩餐一人ショットバーごっこを愉しむのであります。
作り方は
1、フィノシェリー酒1対ウィスキー2の割合で混ぜ合わせたお酒の中にレーズンを味がしみ込むまで、だいたい一晩、浸します。
2、無塩バターを夏なので常温で溶かし1のレーズンを混ぜ合わせます。
3、ラップの上で海苔巻き状に巻き包み冷蔵庫で冷やして出来上がり。
とこんな感じの簡単な作り方なのですが、ウィスキーに浸すとなるとやっぱり経済面で逼迫感があり、どうしても最後の晩餐感が強くなる、、、、と少し反省する、そんな美味なる食べ物なのであります。

前菜皿に盛り付け。

夏に飲むウィスキーは寒い時期とは違った味がします。

真上から。


2015年8月9日日曜日

相田啓介:渋下地の記憶

蝉の抜け殻。夏盛りの毎日…暑い。
私の家は代々塗師の家でしたので、柿渋を使う渋下地を見ながら育ちました。その工程はある程度ですが、記憶の片隅に残っているので、それを述べてみます。
私は昭和21年生まれですが、渋下地が終わったのが私が小学校4年生の時と記憶しています。シグマという油性塗料の下地材が出てきたので渋下地が無くなったのです。「これがら、シブはいらねぐなっただ。」私の母親の言葉ですが、どういう訳かよく覚えています。
何年に一度か、夏の終わり頃に柿渋を仕込みます。まずは道具の準備で直系1メートル、高さ1.2メートル程の渋桶の掃除をする為に、中に残った柿渋の古くなったカスや悪くなった物を小川に捨てに行きます。昔ですので、田舎の街中の側溝といえど水は清らかで小魚が沢山住んでいました。そこに早朝人通りが無いのを見計らってカスを捨てるのですが、見る間に水は茶色に濁り悪臭を放ち、小魚達が死んで水面に浮き上がってきます。今なら大騒ぎになるのでしょうが、昔はどこの塗師もそのようにしてから渋桶を洗っていました。
ムシロのカマスに入った直系2センチ程の渋柿(会津では豆柿と呼ばれています)を農家などから仕入れます。それを木製の台の上で木槌で潰し汁ごと渋桶に入れて作業は終わりです。量があるので、1日仕事だった様な気がします。その後、発酵を経て使用出来る渋になってゆくのですが、どのくらいの期間が必要だったかは今では記憶にありません。
たまに川漁をする人が網に染み込ませる為に渋を買い来ることがありました。1合5円から15円だったと思います。
私の家では主として膳をつくっていました。まず渋にネズミ色をした粉を混入します。松煙(まつぼこり)です。それをミゴ刷毛でスーッスーッと塗り、すぐに黒い砥石でカタカタ、カタカタと研ぎます。砥石に別の器に入った渋をつけながら何度か研ぎ、乾かします。それを数回重ねて終わりです。渋を番茶などで薄めて回数を重ねると良くなると聞いています。
私の家は旅館で使う膳を作っていたので、渋下地の上に漆と砥粉を練り合わせた錆をつけていました。当時は渋下地全盛の時代ですので、ヘラで錆をするのは会津では特殊な仕事だった様です。新潟で修行した「鉄っつあ」という職人さんが見事な錆の仕事をしていました。その仕事を見て他の職人達も錆の仕事に慣れていったのを覚えています。



会津塗り。大正時代頃の錆絵の椀 

上のお椀の内側
商品性を追い求める時代の物なので中身よりも表面を大事にする傾向があるようです。

昭和初期頃の会津塗りの椀の蓋
このころになると、いかに所有欲をくすぐるか、そんな風に物を作っていたと思われ
これだけ上手い蒔絵を施しながらかなり粗雑な下地をしており、実用にはちょっと、、、
と思うのですが、これがこの当時の普通の仕事だった様です。

椀の身の方は見事に塗膜がめくれ、柿渋下地も方法によってこうも違うか
と痛感するのであります。

こちらは江戸時代の柿渋下地の皿
古い時代の渋下地は表面がザラザラしていたりして清潔感が希薄ではあるものの
下地と木地との密着も良く実用第一の正直な仕事。

2015年7月30日木曜日

柿渋下地の方法論(下地法について:その2)

ここ数日、クーラー無しの仕事場は暑さとの闘いであります。
今月も何とか無事ブログをアップする事ができました、、、、。
本日は下地、下地法について:その2を考えてみようと思います。前回漆器の下地について、器物の寿命が大きく左右されとても大事な仕事云々と記しましたが、今回論じる下地法もまた手仕事の本質なのであります。
工芸は大量複製時代の芸術とは大変遠いところのモノなので、基本的には「一品性」というのも、「量産性」というのも、どちらも本質的な事実なのですが、食器というものを考えた場合「実用性」が第一にあらねばなりません。実用とは、消費を意味し量産性が土台になければなりません。実用のための器、実用第一の器を作る為には、手間を省いた正直な仕事が必要となります。その典型が今回論じる柿渋による下地法なのだろう、とそんな風に考えております。

文明開化以前の柿渋下地の皿
柿渋下地は歴史的には大変古くから存在する方法なのだそうです。僕が昨日調べたテキストも何を根拠にそう書いているのか不明瞭でした。そういった出土品等の証拠が存在するのかもしれませんが、とにかく平安時代末期にまで遡行する下地法なのだそうです。戦後までその手法が全国的に行われていた事を考えると、約800年間続いた下地法となるのです、、、、。といっても手工芸の歴史は点綴的なので、脈々と続いていたかどうかは怪しいところなのですが。因みにウィキペディアで「柿渋」を調べてみると、
「文献で最初に記載されるのは10世紀頃であり、漆の下塗りに使用された記録が残っている。また衣類に使用されたのは平安時代の下級侍が着ていた柿衣がその始まりとされる」と書かれております。どういった文献に書かれていたのか分かりませんが、何かしらの記録が存在する、と考えられます。どちらにしても工芸の手法の歴史を調べてゆくことは大変難しい事ですし、情報を信じるかどうかは個人の主観の問題なのかもしれません。とりあえず、古い、伝統的な手法と、そんな感じで今回は断言してみようかと思います。
ミゴ刷毛
それで、そんな柿渋下地とはどんな手法かといいますと、、、、
1 まず、8月下旬に玉柿を採りそれを臼と杵で砕いて桶に入れ、上から少量の水を加えよく攪拌して発酵させ柿渋を作ります。
2 出来上がった柿渋に炭粉と少量の松煙を入れ下地剤を作ります。
3 その下地剤を上画像のミゴ刷毛にて木地に塗付してゆきます。乾燥後に砥石に柿渋をつけながら木地を研ぎ慣らしてゆきます。数回ミゴ刷毛、研ぎ慣らし、を繰り返して下地完成。
4 上塗り
5 完成
と、かなり効率的な手法なのです。工程数が極端に少ないうえに漆を使用しない下地なので比較的に技術的な熟練も不要なのです。そしてそこそこ木地と漆の層との食いつきも良く、まずまずの強度があり尚且つ安価に仕上げる事ができるのです。
といってもやっぱり漆器なのでそこそこ値の張る品物だった様に思います。
なぜなら昨日読んだ本には安価な柿渋下地の漆器の登場で土師器の需要と入れ替わった。と、そんな風に書かれていたからです。安価だからではなく、その生産性と使い勝手の良さが需要を拡大させた大きな理由だと思われます。

皿裏
それで、そういった柿渋下地の漆器があるとき廃れてゆくことになります。なぜなら貨幣経済が巨大化するにつれ商品としての見栄えや抽象的普遍性が求められるようになるからです。
商品として、もっと綺麗に仕上げることが求められ、素材の味や手仕事の痕跡が見えない、もしくは捏造された物がもてはやされる様になってゆきます。そういった時代の風潮に打ち勝つ事のできない柿渋下地の漆器はやがて消えていく事になるのです。
工芸は常に具体的で人々の生活の一部であると僕は思っております。象徴的抽象性とは正反対のモノであると、そう強く繋辞するのであります。


漆絵の数々
以上、下地法その2でした。

2015年7月17日金曜日

蛇腹きゅうりのピクルス(保存期間:要冷蔵で7日)


具現的公共性としての思想を形成する為の何物かの破片となる事を目的とするための情報という事実を掲示するためのグログを、、、、、、、と、いうか、毎日のいろいろな事々を記すにしても、少しでも何かに役立つ様なそんな風に考えております。
で、、、先日我が家のポストに消費社会の象徴、フリーペーパーなる物が届られておりました。別に読むでも無く、冊子の写真を見るでも無く、ただ機械仕掛けの様にペラペラとめくっていくとペラ47ページあたりに「変幻自在レシピ」という書付が、、、、。オヤッと思ったので機械仕掛けペラペラを途中で中止して、記事を黙読。空っぽの僕のお財布でも買い揃えられる食材ではないか、、、。とそう直感したのであります。
そして作ってみました。じゃばらきゅうりのピクルス。作り方は下の画像となっております。

作り方その1
作り方その2



出来上がり。
そして盛り付けてみました。じゃばらに切り込みを入れると味の染み込みも早いようで一緒につけたミョウガはちょっと薄味。ソーメン等の付合せには良いのでは、と思いました。

置きレンゲに盛り付けてみました。


別アングルから

幅6センチ 長さ13センチ
以上、具現的公共性としての思想を形成するちょっとした料理のご報告でした。

2015年7月11日土曜日

クロスプロセス

勝常地裏
昨日今日と、とても熱い、、、ので、仕事場の近所といっても車で10分位、自転車で20分位、歩きで1時間位の距離の重要文化財、勝常寺へ行ってきました。
建物自体は室町時代の建造物。元々のお寺は11世紀初期に造られたのだそうです。その造型を接写するのが目的なのであります。何故ならば先日カメラ屋さんで1000円均一コーナーにてカメラレンズを買ったので、何か撮らずにはいられない、、。とそんな衝動に駆られ仕事の合間にフラフラっと行ってはみたものの、やっぱりその古色感、重要文化財という箱書き、そしてここの秘仏は国宝でそれが下の画像の伽藍の中に存在するのだ、、、と思うと古玩好きの血がグラグラと沸立ち、とてもカメラの試し撮りどころか、わなわなしながら呆然と立ちつくしてしまうのでございます。

正面側の写真

礎石部分

巨大なお寺なので50ミリレンズでは、なかなか撮影が困難。

正面

1000年近く前お寺の中を彷徨いながら思ったのは、やっぱり夏は喉が乾く、早く戻ってお茶でも飲もう、、、。という事が今日一日考え抜いた曇りのない思考なのでした。

やっぱり美味しいお茶には蕎麦ちょこ。なのかも、、、

別角度から。

4寸薄手の茶托でございます。