先日自転車のカギをなくしてしまい、やむを得ず破壊。 がしかし、自転車のカギとはいえ現代鉄工の結晶、丸一日 かかって漸く破壊に成功。製鉄技術の思わぬしっぺ返しを 受けたのでした。 |
日本の製鉄は山陰地方で渡来系の人々による「たたら」製鉄法によって始められたと言われています。
鉄は現代社会において産業の米といわれてきました。もっとも現在の産業の米はマイクロチップに取って換わられましたが。鉄が無ければ現代文明が成り立たないのはもちろんです。
古代においても鉄はもっとも重要な素材で農具として兵器として刃物として、その他の様々な用途に使われ続けました。
木の鍬の先に鉄の刃物を装着すれば深く耕す事が出来、農業生産が増大します。また田や畑の開墾も容易になります。
中国では鉄の鏃を使用する事で騎馬民族を北方へ追い遣り秦王朝が成立しました。もっともその後、中国では慢性的な鉄不足に悩む事になるのですが。中央アジアでは鉄の使用はかなり古くバクトリアやルリスタンなどの銅剣の芯や鉄剣として用いられているのを見る事ができます。
BC538年仏教が伝来し以後朝鮮半島などより金銅製の仏像が伝来します。その後日本国内でも仏像が盛んに作られ木像、金属像、また麻布を漆で何枚も重ね合わせて形造られた塞(そく)と呼ばれる漆製の像も盛んに作られます。
現在では脱活乾漆あるいは乾漆と呼ばれていますが、明治期に作られた言葉で、あまり適切な言葉ではない様に私は思います。塞あるいは中国流の夾紵(きょうちょ)の方がその本質を表している様に思います。
また木で大雑把に像を作り細かい部分を漆と木粉などを練り合わせた木屎(こくそ)で形作った木芯乾漆の像も盛んに作られます。しかしある時期からそれらが急に作られなくなり、木像が多く作られる様になります。木を加工する為のノミなどの鉄の工具の発達とその使用法の発達よるものではないでしょうか。
平安末期以降、木地に漆を塗った漆器類が、一部の上流階級で使用される様になります。木を楽に加工出来る鉄の工具の目覚ましい発達の成果です。
漆器を庶民が使える様になるのは、急激な生産の拡大の時代とされる室町時代以降のようです。