2016年11月24日木曜日

三つの神話。


バタピー。



らっかせい。このブラジル原産のマメ科の食物は何時頃からこの国の大衆的な食べ物として食品売場の棚に陳列されるようになったのでしょうか。どういった調理がなされ、この不思議なビニール製の袋にどういった方法で詰められているのでしょうか。幾つかの疑問を心の中で反芻しながら今日はブログを書いてみようと思います。

ふつう工芸家の展示会というものは事前に、その作家の自己紹介やプロフィール等の自分自身が何者であるかを説明する見出しやタイトルを設ける事が暗黙の了解となっており、今回の我々の展示会のDMも写真の面の裏側にはしっかりとその事が明記されています。

これと同じように、このマメ科の食品もそのビニール製のパッケージの裏面には前述の幾つかの疑問を解明する何らかの手がかりか、食物自体の詳細な説明が表記されていなければならないはずです。
が、しかし裏面の記述には不思議なことが書かれていました。
これから、その予言ともとれる寓意について考えてみようと思います。

そこには「三つのこだわり」という題名の寓話が書かれています。
1)中国、山東半島で収穫した落花生を100%使用。
2)粒ぞろいの伝統種大粒落花生を使用。
3)風味ゆたかなバタピー
といった物語ふうの実にポエティックな文章が書かれており、何かの暗示であることを予感させるのでした。少しこの寓話をかみ砕いてゆこうと思います。

1)は物語のプロローグにあたる部分で、中国を舞台にした話だということが抒情的に説明されており、尚且つ数学的理論に基づいた100%ノンフィクション、、、、、という事を客観的に説明しています。
第2章では、このマメ科の食物を慈しむ思いから、「粒ぞろい」「伝統」などの過激な修辞を駆使した現実を超越した空想上の神話が展開され問題の第三章へとつづいてゆくのです。
そして最終章なのですが、「こだわり」というにはほど遠いあまりにも主観的な、この食物を作者が食した場合の感想めいた、、、、、事が書かれているのでした。
この第三章を理解せずして、この「三つのこだわり」という寓話を語る事はできないのですが、こういった哲学的なアレゴリーは数々のリテラシーの上に立脚しており、歴史が言葉がどういった経緯で人々の理解というものの成形素材となっているのかといった、本質的な直感性を通過した先に答えがあるのだろうと思われます。
ミスティフィカシオンなのか、感動のラストシーンなのか、、、、、、。


こういった要素は工芸品にもあるのかもしれません。


工芸はミスティフィカシオンなのか、それとも感動のラストシーンなのか、、、、、。

という事で今日も展示会のアイテムの紹介です。






相田啓介作:塗り分けの片口。

口径:4寸5分 (口含まず)




バタピーをお摘まみに、、、、。

神話は裏に書かれている。


展示会11月29日から12月5日まで、日本橋高島屋7階にて。
どうぞよろしくお願いいたします。