2016年3月21日月曜日

アテのヘラ

木地固め。木地に漆を塗り導管の吸込みを止める、工程。


思考が膠着する月末、何とかその様になるまいと、頑張ってはいるものの今こうしているうちに、脳内がアレ、ブレ、ボケの様相を示そうとしております。文字は荒れ果て判読出来ず、考えがブレまくって何を言わんとしているのかさえ見失い、自我を消失し何者か分からなくなるまでボケはててしまい、ブログの存在すら知りえず、なぜ、言語らしきものを書きなぐろうとしているのか、来たるべき言葉を思い出せなくなる前に、今日は下地箆について大きな不安を考えてみようと思います。

先日の事なのですが、いつも地着け用のヘラを分けて戴いている輪島の木地師Yさんへ毎度のように箆を数本売って頂きたくお電話を入れたのですが、

「昨年暮れに、僕も仕事を辞めました。ヘラくらいなら、まだ何本か残っているけど、、、、、」

と、恐れていた返事が飛び出して来ました。
それもそのはずYさんも、もう80歳をこえているし、手先の仕事とはいえそうそう長くは続けることは出来ないと、知りつつもいざ、そういう事になってしまうと、脳内がアレ、ブレ、ボケでいっぱいになってしまい、ただ呆然とするしか手がないのです。


漆器の仕事は、下地で決まる、、、、と言っても過言ではありません。まして、その下地用のアテの良材でできた箆木は何が何でも必要な道具です。堅地(今、僕らが行っている下地法)は、能登産の珪藻土を下地用の漆に混ぜ込んだものを箆で押さえつけるように塗付していくのですが、砂状の珪藻土を混ぜた下地漆はザラザラとしている為、他の材質の箆木では直ぐに擦り減ってしまい、代用出来ません。(主に会津や他産地では下地箆にはヒノキやシンシュウマキを使います)
能登産の珪藻土からなる地の粉を効果的に塗付するには良材のアテ(あすなろ)の箆しかないのです。

そして、良材を手に入れるというのも大いなる才能で、材木を外見だけで、中身の良し悪しを判断しなければなりません。
どんなに見た目が綺麗な材木でも、製材してみたら木目が捩れていたりする事も多く、皮のついた丸太から木目の具合を見抜く、、、というのもなかなか難しいものなのです。たとえ仮に潤沢な経費を使っても、そうは良い材料など手に入れる事は簡単には出来ません。

そういった、ある種の才能を駆使し熟達した経験値を持った氏が仕事を辞めてしまって、どういうふうに、克服出来るのか、、、、
今のところ、ただ呆然と立ち尽くすしか手がないようです。


箆を削ってみました。

グサッ。

ザクッ。

出来上がり。

箆2本。

箆箱の中。

2016年3月11日金曜日

粋な構造。

katakata特製フィギュア。

katakataの手ぬぐい


若き日々の思い出というものは、その時々で感じている事と時間を経て感じ入る事々では大分その印象が違う様に思います。
子供の頃の夏休みの宿題の絵日記などはその典型で、休みの最終日まじかの2~3日で夏の思い出の全ての出来事を日記帳に書き入れる、、、、、。そういった行為はある意味、記憶の熟成があって初めて出来る捏造行為なのだろうと思います。

先月、友人の「katakata」さんの所へ行って来ました。もうすでに1ヵ月も前の事なので、大部分の記憶が完璧な熟成状態になってしまい、何を話したのか、何について考え、思ったのか、その断片すら思い出せず、今、こうしてパソコンの前で自分の記憶の熟成ぶりに圧倒されて慟哭しており、思い出そうとしても忘れられない、、、、、、といった、ある種相克する感情が入り乱れております。

紀行文としての機能を完全に消失しているのですが、ただ、作品の姿は鮮明に脳裏に焼き付いており、未だにその物欲すら冷めやらぬ気持ちでいるのです。
その作品たちの優れたデザインは、独特の風通しの良さを兼ね備えており、煮詰め過ぎない「透明感」が文様として完全に機能し、手ぬぐいであれバックであれ、その対象物が何であろうとさらりと収まる順応力をもった説得力の強い図案なのです。
今、色々と言ってみたところで何も始まらないのですが、次また行くときは買い占めるぞ、、、、などと身の丈にそぐわない思いの込み上げる、そんなお店でした。
katakataさん先日は、どうもありがとうございました。


素敵なお店で、ショップ兼アトリエなのだそうですが、機能的な装いで尚且つオシャレ。粋な構造。

、、、、と日々オシャレと敵対関係なのですが、拍手を贈りたくなる様なお店。

アイテム数も結構多く、

図案の完成度は抜群。

手ぬぐいの数々。

ゴールドライタンとkatakataロボ。

2016年3月8日火曜日

相田啓介:「めし」「豆腐」考

めしと豆腐。そんな色々を父が書いてそれを僕が適当にブログにアップしておりますが、
今日は以前もアップした米糊の作り方。良い米糊は美しく下地漆に良く混ざるのです。
めし、、、米繫がり、、、、という事で。まずは、電気コンロを温め電気の通電をチェック。
老朽化した電気コンロなので、たまにコイルが火花を飛ばす、のです。
  

随分前の事ですが建築家白井晟一氏の建築文化特集号を立ち読みしていた所「めし」と「豆腐」という二つのエッセイがあり、興味深い文章だったので買って何度か読み返しました。
最近になって読み返したくなったので家の中を探してみましたが出て来ませんでした誰かに貸したのかもしれません。本の貸し借りはどうも具合が悪くなりがちなので、今はそれをしないことにしています。大切な本ほど帰って来ません。
以前の事ですが、知り合いの家で興味のある本があったので、一晩借りて読み進めるうちに自分が貸した本である事を思い出しました。元々自分の本なので2~3日かけて読むうちにその知り合いから矢の催促なので返しました。どうも具合がよくありません。

「めし」の内容は、なぜ飯が美しいか?との考察です。「豆腐」もなぜとうふが美しいか、という論証です。
稲の歴史は数千年にわたり、その間に品種改良を繰り返し、その栽培方法も改良を重ね現在の米がある。お百姓さんは、その過去の積み重ねられた技術の上に自分の腕を磨き「八十八手の手がかかる」と云われる大変な労働の結果として米が出来上がっている。お母さんは朝早く起きてその米を研ぎ、竃に火をお越し、「はじめちょろちょろ中ぱっぱ赤子泣くともフタとるな」といわれている様な面倒な技術をもって飯を炊く。そこにはお母さんの技術と努力と心が込められているからこそ、また、多くの人々の苦労や歴史があるからこそ碗に盛られた飯は美しいのだ。その様な内容だったと記憶しています。

「豆腐」。人々が寝静まっている暗い早朝、豆腐屋さんは仕事にかかる。前日に洗って水につけ大豆を擂り潰し、カスを布で漉し取り、火にかけ豆腐屋のおやじさんの何十年来の勘でここぞと頃合いを見計らって豆乳ににがりを加え固めて型に入れる。そして地下数十メートルから汲み上げられた水の中にきちんと切られた豆腐がある。それが今食べられようと皿の上にあるのです。その瑞々しい豆腐が美しくないはずがない。
この様な内容だったかと思います。大工などの職人とその仕事を大事にした建築家白井晟一らしい文章であったと記憶しています。

さて、「めし」と「豆腐」が目の前にあった時、大方の人は美しいではなく「おいしそう」と感じると思うのですが、実は「おいしそう」の中に美は含まれていると、私は思っています。
だからこそ人は美しく料理して、美しい器に美しく盛りたいと願うのではないでしょうか。そして、労力及び技術の集積もまた、人工物における美の側面となりうるのではないかと考えます。
古墳時代に作られた勾玉は翡翠などの堅い石で作られています。形を削り出すのも並大抵事ではありません。それに小さな穴があけられていますが、道具類が殆ど無い中でどの様にして作られたのでしょう。大変な労力の賜物と思われます。これこそ労力と技術力の集積が美となる典型といえるのでないでしょうか。
また、工芸においては時代にかかわらず、手のかかったものが美しいものの条件となる場合も多いようです。逆にどんなに手をかけても美しくない場合も多いのですが、それはまた別の話です。

さておき白井晟一氏は表面に現れた美しさではなくその奥に隠れた中身にこそ真の美が宿っていると云いたいのだと私は思いました。私にとって大変共感の持てる内容のエッセイだったと思います。

煮初めて10分位。
米粉は十年近く前の古米で一年ちょっと水に浸けデンプン質を洗い流したもの。

15~20分。少し水を足し粘度を調整。

40分位。だんだん完成に近づく。

1時間。完成。

焦げ目やだまだまを取る為に、これを布で濾し上げます。

丁寧に濾して、

完成。茶碗がラーメンどんぶり、どことなくおいしそう、、、。
漆に良く混ざる米糊でないと下地を綺麗に塗付出来ません。