2016年11月26日土曜日

ロンリーボーイ。

展示会前のブログは今日で最後かと思います。


「自分は昭和21年生まれです。家業が漆器製造業であった事から幼い頃から工芸品が身近にあり、何とはなしに工芸品がどういった苦悩のもとに作られるのか、という苦労を目の当たりにして育ってきました。ですから、工芸というものの本質を自分なりに理解しているつもりです。ですが、元来無口な方でそういったことを語る術を知りません。

18歳の頃だったと思います。日本侠客伝という映画をとあるきっかけで見る事になり、その主人公のさり気ないニヒリズムに心を撃たれ、憧れるようになりました。

それからは、そういった任侠映画を率先して見る様になり、少しづつですが饒舌であることに疑問を抱く様になっていきました。そういった映画の中の人々はとても自由に生きている様に思えてなりません。敬仰する眼差しは何時しか喋らない男はカッコイイ、ダンディーだ、、、、、、と自分の中で無口である事が何かの象徴と思う様になっていきました。

その後、酒に手を染めるようになってからは、ますますそれに磨きが掛かり今日ではすっかり寡黙な男となってしまいました。
こうした日々の研鑽の賜物である孤独のブルースはそうそう誰でも貫き通すことはできないし、まして楽しいおしゃべりなんてもってのほか。哀憐は孤独は陶酔の中にしか存在しないのです。」


、、、、、、と父啓介は思っているかどうかは分かりませんが、11月29日からの展示会は父は会津若松で留守番です。息子が売り場に立つ、、、、、、という事になっております。
どうぞよろしくお願いいたします。





新作レンゲ型、

のスプーン。

長さ:15㎝ 幅4㎝ (長さは色々と違います)

握り具合も良いかと。

裏面。

どうぞよろしくお願いいたします。

今回も時間的な余裕がない為、変なブログになってしまいました。

2016年11月24日木曜日

三つの神話。


バタピー。



らっかせい。このブラジル原産のマメ科の食物は何時頃からこの国の大衆的な食べ物として食品売場の棚に陳列されるようになったのでしょうか。どういった調理がなされ、この不思議なビニール製の袋にどういった方法で詰められているのでしょうか。幾つかの疑問を心の中で反芻しながら今日はブログを書いてみようと思います。

ふつう工芸家の展示会というものは事前に、その作家の自己紹介やプロフィール等の自分自身が何者であるかを説明する見出しやタイトルを設ける事が暗黙の了解となっており、今回の我々の展示会のDMも写真の面の裏側にはしっかりとその事が明記されています。

これと同じように、このマメ科の食品もそのビニール製のパッケージの裏面には前述の幾つかの疑問を解明する何らかの手がかりか、食物自体の詳細な説明が表記されていなければならないはずです。
が、しかし裏面の記述には不思議なことが書かれていました。
これから、その予言ともとれる寓意について考えてみようと思います。

そこには「三つのこだわり」という題名の寓話が書かれています。
1)中国、山東半島で収穫した落花生を100%使用。
2)粒ぞろいの伝統種大粒落花生を使用。
3)風味ゆたかなバタピー
といった物語ふうの実にポエティックな文章が書かれており、何かの暗示であることを予感させるのでした。少しこの寓話をかみ砕いてゆこうと思います。

1)は物語のプロローグにあたる部分で、中国を舞台にした話だということが抒情的に説明されており、尚且つ数学的理論に基づいた100%ノンフィクション、、、、、という事を客観的に説明しています。
第2章では、このマメ科の食物を慈しむ思いから、「粒ぞろい」「伝統」などの過激な修辞を駆使した現実を超越した空想上の神話が展開され問題の第三章へとつづいてゆくのです。
そして最終章なのですが、「こだわり」というにはほど遠いあまりにも主観的な、この食物を作者が食した場合の感想めいた、、、、、事が書かれているのでした。
この第三章を理解せずして、この「三つのこだわり」という寓話を語る事はできないのですが、こういった哲学的なアレゴリーは数々のリテラシーの上に立脚しており、歴史が言葉がどういった経緯で人々の理解というものの成形素材となっているのかといった、本質的な直感性を通過した先に答えがあるのだろうと思われます。
ミスティフィカシオンなのか、感動のラストシーンなのか、、、、、、。


こういった要素は工芸品にもあるのかもしれません。


工芸はミスティフィカシオンなのか、それとも感動のラストシーンなのか、、、、、。

という事で今日も展示会のアイテムの紹介です。






相田啓介作:塗り分けの片口。

口径:4寸5分 (口含まず)




バタピーをお摘まみに、、、、。

神話は裏に書かれている。


展示会11月29日から12月5日まで、日本橋高島屋7階にて。
どうぞよろしくお願いいたします。

2016年11月21日月曜日

バイロジックな器

相田啓介作、薄挽茶托。


僕は福島県の会津若松に住んでいます。以前は漆器を作って売る仕事をしていました。
けれどオリンピックを数年後に控えた年に不景気に負けてしまって、今は約150キロ離れた場所へ毎日車で通っています。

今の仕事は肉体的な苦痛を代償に、お給料もそこそこ良くて前のように金銭的な苦しみはありません。職場からの帰りの道路を照らすぼうっと光る蛍光灯を見ながらいつも思い出す事は、以前の仕事での上塗りの事や木地を作る為の刃物を研ぐといった辛いながらも充実した毎日の思い出です。車の外の夕暮を不気味に映す海はどこか滑稽で悲しげで、そういう思い出と二重に重なって脳裏になにかを訴えてきます。

今は手仕事に未練はありますが生きるという事はそういった悔しさみたいなものを受け入れてゆかなければならないのかもしれません、、、、、、、、、
と、これが今回の展示会が上手くいかなかった場合の結果、、、、、です。憐憫のあまり慟哭しながら今こうしてブログを書いているのですが、こういった近未来の予想は、自愛の強い人の場合ほんの少しの軽い妄想ですら精神的に悪影響を及ぼします。涙を拭いながら、こういった未来だけはどうにかして避けたい、、、、、、という思いで今日も作品の紹介です。

塗り分けにしたので、ちょっとしたお皿としても使えそう。

また、盃台に、、、、と本人は思っているよう。

晩酌時に、、、、、。

裏。

こんな感じで塗っています。


11月29日から12月5日まで、展示会どうぞよろしくお願いいたします。

2016年11月17日木曜日

今回の新作。

今回の展示会に持って行く三枚の皿。


とある零細企業の古物商のブログを先日読んでいたところ、ここ最近は零細企業の間で商売が失敗せぬようにと、闇金ウシジマくんなるものの無料配信動画を見て、失敗したらこうなるんだ、、、、、と自分自身に言い聞かせて克己心を植え付けるという荒行が流行っているのだそうです、、、、、、。

その、ウシジマくんというものはもの凄く怖いマンガだそうで、どの位怖いかと言うと「第三の極道」と「恐怖新聞」を足して2で割ったくらい怖いのだそうです、、、、、、。
想像するに恐らく物語のストーリーは、もの凄くアウトローな主人公の家に読むと寿命が100日減ると言われる新聞が毎晩届き、そのストレスのせいで仕事が上手くゆかなくなり借金地獄に陥る、、、、、、という感じ、だと思われます。

そういった現実社会にごく当たり前のように起こり得る出来事と全く存在しそうも無い読むと寿命が減る新聞、、、、という現実と虚構の両立により、物語形成を見事になしえる、という行為をマンガの世界で実践している、、、、、、わけなのですが、この虚構と現実という二枚板は何もマンガの世界の専売特許というわけではないはずです。

この、工芸というものにも恐らく必要な要素かと思われます。

実用と審美性という相容れぬ関係の現象は工芸品の持つ最大の特異性であり、まさに虚構と現実の関係に酷似し、そういった相克する2つの現象が見事に関わりあって「もの」が存在している、、、、のかもしれません。ウシジマくんの構成要素は工芸品にも必要な大事なことなのです。

ということで、今日は11月29日からの展示会に持って行くアイテムの紹介をしたいと思います。





先週出来上がった菓子皿。ぺらっとしている、、、、、、。

梨を切って乗せたはいいのだが大きすぎて何だかアンバランス。本当は使いやすいのですが。

ぺらっとした皿、の裏側。以前からブログに載せている、、、ので改めて紹介するまでもないのですが。

三枚の裏。
今日は、展示会前なので、いつにも増して文が荒れております。

11月29日からの展示会どうぞよろしくお願いいたします。

2016年11月12日土曜日

裏メニューのご紹介。

展示会用DM

今日の お知らせは、もうギリギリで迫っている展示会の詳細について書いてみようと思います。

ここ数年は毎年、年末近くに百貨店の催事をしており今年もそのような手筈となっており、もうタイトルも決定し、DMも出来上がり作品の制作以外は準備万端なのです。
まず、タイトルが「相田啓介うるし工芸展」となっており、去年と全く同じタイトルで、息子のお前とその親父の作品が共存しているにもかかわらず、相田啓介うるし工芸展とはどういうことだ、、、、という疑問について説明しようと思います。
これは、百貨店側のいろいろな理由なのか、それともこちら側のタイトルを考えるのが面倒だ、という怠慢からくるものなのか、、、、、。

例えば貴方がそれ程敷居の高くもない、けれど味はそこそこの洋食屋さんへ行ったとします。
メニューを覗くといろいろある中で、シェフの気まぐれハンバーグ的なものに目が留まり、それをオーダーしました。数十分で鉄板の上でジューっと唸るハンバーグが目の前にやってきました。
それをナイフで切ってみたら、中からカレーライスとチーズが解け出てきたではありませんか、、、、。この現象を目の当たりにして、大多数の人々は「普通のハンバーグに替えてくれよ」と思うはずがないのです。恐らくは、「チーズとカレー、美味しいものが二つでてきた、やったぜ」と感じるはずなのです。

ですから、今回の展示会も「相田啓介うるし工芸展」というタイトルで父親の啓介と、息子の雄壱郎のものが半々の割合で共存するという事はハンバーグの中にカレーライスとチーズが共存している状態、、、、、を暗喩しており、そういった心的サプライズを目的としている、、、、、、といっても過言ではないのです。

この作戦はかなりの確立で成功するはず、、、、、、。

相田啓介うるし工芸展
11月29日~12月5日まで
日本橋高島屋7階和食器にて。





展示会用?に作った刃痕のある皿。

その裏側。

お菓子は勿論、盃の台としても使える、、、、。

晩酌時の盃台にもなる、、、、、と思います。16.5㎝×12.5㎝


今回も変なブログになってしまいましたが、どうぞよろしくお願いいたします。

2016年11月9日水曜日

絶体絶命


連日の上塗。

11月29日からの展示会を何とかして成功させるためにどういったことをすればいいのか、、、とここ数日考えており、その成功という大きなプレッシャーの為にブログの更新が出来ない、という悪循環に襲われ文章も全く思いつかないばかりか、カメラのシャッターすら押せない、、、、という現象は、現代社会の闇を隠喩しているのだろうと思われます。
成功ということはその反対に失敗とういう想像を超えた悲しい現実が存在し、その悲しみにはたして自分は耐えられるのだろうか、、、、、という思いからプレッシャーが醸造されるのでしょうか。おそらくはその悲しみの他に何かもっともっと大きな原因が存在しそれを乗り越えなければこのブログという隠喩装置を使いこなすことは無理なのかもしれません。
もし、その大きな原因を言語的に表示するとすれば一体どのような言葉になるのでしょうか。
おそらく、「貧困」と「絶体絶命」を足して2で割ったような感じの言葉になるのではないでしょうか。
「絶対貧困」とか「絶命貧困」とかそんな感じになるのでしょうか。こうして書いている字づらをみているだけでも恐怖のあまり指が震えてきます。ものづくりで生計を立てる事はその大きな原因と共に生きていく、、、、、、という事なのかもしれません。

11月29日からの展示会どうぞよろしくお願いいたします。




手塩皿よりも少し大き目の菓子皿の上塗。

内側が刃痕のままなので縁から塗ってゆき、裏側へ、、、とチョット変な刷毛さばきになります。

裏に漆を配ります。

漆が均一な厚みになるように刷毛を通してゆきます。

完成した菓子皿。