2016年3月11日金曜日

粋な構造。

katakata特製フィギュア。

katakataの手ぬぐい


若き日々の思い出というものは、その時々で感じている事と時間を経て感じ入る事々では大分その印象が違う様に思います。
子供の頃の夏休みの宿題の絵日記などはその典型で、休みの最終日まじかの2~3日で夏の思い出の全ての出来事を日記帳に書き入れる、、、、、。そういった行為はある意味、記憶の熟成があって初めて出来る捏造行為なのだろうと思います。

先月、友人の「katakata」さんの所へ行って来ました。もうすでに1ヵ月も前の事なので、大部分の記憶が完璧な熟成状態になってしまい、何を話したのか、何について考え、思ったのか、その断片すら思い出せず、今、こうしてパソコンの前で自分の記憶の熟成ぶりに圧倒されて慟哭しており、思い出そうとしても忘れられない、、、、、、といった、ある種相克する感情が入り乱れております。

紀行文としての機能を完全に消失しているのですが、ただ、作品の姿は鮮明に脳裏に焼き付いており、未だにその物欲すら冷めやらぬ気持ちでいるのです。
その作品たちの優れたデザインは、独特の風通しの良さを兼ね備えており、煮詰め過ぎない「透明感」が文様として完全に機能し、手ぬぐいであれバックであれ、その対象物が何であろうとさらりと収まる順応力をもった説得力の強い図案なのです。
今、色々と言ってみたところで何も始まらないのですが、次また行くときは買い占めるぞ、、、、などと身の丈にそぐわない思いの込み上げる、そんなお店でした。
katakataさん先日は、どうもありがとうございました。


素敵なお店で、ショップ兼アトリエなのだそうですが、機能的な装いで尚且つオシャレ。粋な構造。

、、、、と日々オシャレと敵対関係なのですが、拍手を贈りたくなる様なお店。

アイテム数も結構多く、

図案の完成度は抜群。

手ぬぐいの数々。

ゴールドライタンとkatakataロボ。