2016年9月8日木曜日

相田啓介:民芸

民芸的書物。ゑげれすいろは。


 昭和30年代から40年代にかけて民芸が大変なブームになり、私の父なども「ぶ厚くてザックリしているのが民芸で、そういう感じが自分は好きだ」と語っていた記憶があります。

私が民芸の大よその概念を知ったのは昭和50年代になってから柳宗悦の著書を数冊読んでからです。柳の著書には同じ言葉、同じ内容の繰り返しが多く、簡単な内容であるのになぜか読み進むのに苦労した覚えがあります。
多くの場合、私は本を読むのにとりあえずサラサラと読み、後でじっくりと読み返す事をするのですが、宗悦の著書は読み飛ばしもできず読み返す気にもならず、不思議な読み物でした。

柳宗悦の民芸はとりあえず賛成できる内容が多い様に思えたのですが「明らかに、これは違う」と思える事が一つありました。
[貧しい無学な工人達は「他力」(つまり仏の力によって)美しい物を生み出している]との内容の記述でした。私は職人の中で子供時代を過ごし、長じては多くの物造りの友人や先輩や職人達とのお付き合いの中で感じていた事なのですが、美しい物を作り出すのはその人の美的センス、審美眼、芸術的創造力であって、貧しいとか無学とか無教養とかは全く関係ありません。
職人の好きなものはお金と仕事なのですが、仕事が美しく仕上がる事も職人の喜びの一つです。工夫をして物が美しく仕上がる事に喜びを見出す職人も少なくはないのです。
美的センスは生まれながらに備わったものと、育った環境によるものが大きいと思われます。大人になってから学んでも少しづつしか身に付かない様に思います。前のどこかの知事のように「この絵は値上がりする」といった感覚はすぐに身に付くのかもしれませんが。

民藝館に展示されている様な美しい工芸品は他力(仏の力)によって生まれるのでは無く、無名の無学な工人の美的能力によって生み出されたものなのです。それは偶然によって生み出されたものでもありません。
「鉄と人は時代が降るほどだめになる」とのフレーズを何かで読んだことがあります。何百年前の言葉でしょう。時代が下るほど鉄の質と美の水準は下る、と言い換えれば良いのでしょうか。
民芸の世界を知るにつれ、浜田庄司などの民芸作家の存在がどうにも気になりはじめ、これらは民芸の本質とは違うのでは、と疑念が大きくなり止まらなくなってしまったのです。
もっとも民芸の作家の作品は民芸品そのものとは違うという逃げ道は作ってあるのですが。

浜田庄司が釉を流しかけているのを見ていた客が「こんな簡単な仕事なのに作品の価格が高すぎるのでは。」との問いに答えて曰く「15秒+60年と考えて頂きたい。」との事。
60年のキャリアを持つ職人はそんなに少なくはありませんが、浜田ほどの金額をとる人はめったにいないでしょう。
浜田庄司の芸術的才能、つまり芸術料、人間国宝としての肩書き料、有名料などがその高価な作品の内訳に違い無いのですが、なんという人を馬鹿にした応接でしょう。人をはぐらかしているだけと思いました。

浜田庄司が亡くなった後、その作品の価格は暴落しました。共箱があればまだしも箱が無ければかなり値を下げても売れもしないとの事。
昭和初期の頃、浜田の初の展示会において、彼の作った湯呑が5円だったそうです。その当時の5円が現在のいくらに相当するのかわかりませんが、普通の人が買えそうもない価格であったのは間違いないようです。たかが陶器の湯呑です。悪口の羅列なってしまいましたが、書くつもりならまだまだ書けますが止めます。
他の民芸作家黒田辰秋や棟方志功の事も書きたいのですが悪口だけになってしまうのでやめます。
他にも数多くの民芸への疑問が生じ、その後民芸から気持ちは離れてしまいました。ただ民芸品の商いをする方々、民芸を信奉する方々には人柄の良い立派な方が多く私などは助けて頂くばかりでした。今では全て縁が切れてしまい、申し訳ない事です。


1997年に出川直樹著、平凡社ライブラリー185「人間復興の工芸」(民芸を超えて)が出版されました。民芸の根本的な見直しをした内容で実に明快であり、それによって民芸に対する胸の閊えが取れた思いがしました。数々の疑問の答えはこの著書の中にあったのです。
「用と美」ではなく「用即美」。これは倉敷民藝館館長、外村吉之介さんから教えて頂いた事で、その時は普遍的な事実として認識していたのです。外村さんの語り口には誠実さと真実味が溢れ、その内容に疑問の涌くはずもありません。
東京芸大の前田泰次氏が会津での講演会において標榜されたのが「シンプルイズベスト」です。普遍的真実として生涯をかけたテーマであるのは判っているのですが、つい反論してしまいました。これは普遍ではなく個人の好みであると、具体例をあげてやってしまいました。
「用即美」も後でよくよく考えてみれば個人の好みなのだと判るのですが、外村さんに反論など出来ませんし、ずっと以前に亡くなられましたが今も尊敬しています。
民芸の世界には外村さんのような素晴らしい方々がおられたので民芸が盛り上がったのだと気が付いた次第です。
出川氏の著書の後、最早理論としての民芸は存在しません。宗悦好みともいえる雑多な審美観つまりコレクションが残るだけでしょう。雑多と書きましたが民衆的工芸の看板には相応しくないものもその中には随分混じっていると思います。例えば漆。
根来などの堅地漆器は当時の庶民の漆器とはいえません。いわゆる秀衡椀と呼称されている三ツ組椀も勿論庶民の為の道具ではありません。しかも日本民藝館の桃の絵のそれは明らかな贋物です。もっとも今は展示されてないようですが。志野や古九谷は庶民の器なのでしょうか。
ずっと以前、様々な民芸に対する疑問をいわゆる民芸の大家にぶつけても「お前らのようなチンピラが何を云うか」というような態度で応えられる事が多かったのです。
伊万里も九谷も柿右衛門も志野も織部も光悦も魯山人も李朝も高麗も、良いものは良い、それでいいのではないでしょうか。

柳宗悦の創ったドグマが民藝という大きな大きな樹を育てあげました。葉も繁り美味しい実も沢山実りました。けれどもその木の実はすっかり食べ尽くされやがて葉は散りその大樹は枯れてしまったのです。今では風がその枯れた梢をならし子守唄を歌っているだけです。










マンだ。

ウイッグだ。

そんな、あたかも民芸的な本。心に沁みるバイブルかも。