2016年10月11日火曜日

相田啓介:流れの内にある。

前回は民芸を書きましたが少し書き足りない事がありますので、書き加えたいと思います。
物を作り出すのは人間です。才能のある作り手や職人、そうでない作り手も、すべては、そのバックグラウンドから物が生み出されます。技術が大切との考えもありますが、技術は手段であり何物も生み出しません。
その作り手の境遇、才能、育ち、何を学び、何を考え、何を感じ取り、何を好み、そしてどう生きるのか。
そして時代。
 民藝館に展示されている様な美しい工芸品はその時代の背景のもとに生み出されたものです。別の時代や現代では作り出す事が出来ない品なのです。時代が生み出したとも言えるのでしょう。
今は,売らんが為にデザインされ、売るために作られた、本当に必要なのかどうかも分からない
製品が身の回りに溢れています。そして何者かに追い回される日常。美しい自然は徐々に破壊されつつあります。この様な現代社会の中で、人間の感性は麻痺し磨滅し、何が美しいのか、何が
良いのか、判別さえ出来ないというのが現状なのではないでしょうか。
例えば、現代人が桃山時代のものにどれほどあこがれても、それは作り出せないでしょう。現代人
には現代人のものしか作れないし、仕方のない事なのです。
桃山の茶人が好んだような、あるいは民藝館に展示されている様なレベルのものはもう作れないのです。
日本人の美への感覚は徐々に下がっている様に思えます。やはり鉄と人は時代が降るほど下がっているのではないでしょうか。

すべては流れの内にあるのです。

人はその高さ以上のものを作り出す事ができません。もし上を望むなら自分自身をほんの少し
づつではあっても、高める為の努力をするより他に道はないのでしょう。
「民芸」。こんな矛盾に満ちた理屈はもう要らないのです。自分が美しいものを美しいと、良いもの
を良いと思う。
そうゆう生き方をすれば良いのです。

相田啓介作、八寸欅鉢。

十字架型の仕切を内蔵。

その仕切。何だか船っぽい。

裏側。  直径24・5センチ 高さ7センチ。