2015年10月28日水曜日

相田啓介:松田権六著「漆の話」

お椀の裏側
私が若いころ何度も読み返しつつ読んだ本に岩波新書「漆の話」松田権六著があります。漆のテキストの様に思っていました。読むにつれ何かちょっとした違和感を感じ始めました。
最初は谷崎潤一郎「陰翳礼賛」の中で静かな茶席でジィーと小さな気泡の吹き出る音が風情があると書いているのですが、松田氏はそれがいけないと言っているのです。椀の下地が良くないのが原因で、椀の壊れる音である。大谷崎ともあろう者がその様な事を書くのはおかしい、間違っているというのです。谷崎さんは椀が良いとか悪いとか、そんな事はどうでも良いので、ただジィーとする音が風情があるといっているのです。これは、松田氏の論理のはき違えではないでしょうか?
次は桧の椀木地に漆(生漆か精製漆かは不明)を刷毛で8回塗り重ねて塗り上げた椀が良い、との部分です。桧材は縦の繊維が大変強くまた、樹脂分がぬけにくく木質がボケず、長い時間強度が変化しない素晴らしい木材です。しかし、木口面の強度はあまり強くありません。木口に細かい細工をするとポロポロとその部分が崩れやすいのが欠点です。椀などの繊維面を切る造形には全く不向きな材と思います。また、漆を8回も塗り重ねると、どんなに木地と漆の食いつきに気を付けても使い込めば、特に木口の部分からボロッと剥がれてしまいます。古い椀の中に塗り重ねの方法で下地をしたものがあるとの事ですが、私は見たことがありません。ただ、炭粉の柿渋下地の上に何度か漆を塗ったものを見たことがあります。炭粉渋下地は松煙と違い色が殆ど付ませんのでよく見ないと見過ごしてしまいます。木地と漆の食いつきが中々良いのですが、下地の厚みが殆ど無いのでザラザラとした仕上がりになります。これに1~2回精製漆を塗り重ねれば見た目も良く、そこそこ丈夫な漆器になります。松田氏はこれと勘違いをされたのでは、と私考えています。また、漆を直に塗り重ねれば重ねるほど、静電気が焦電しやすくなり、埃が付きやすくなります。したがって埃だらけの塗物になりがちです。松田氏は桧の椀木地に本当に8回漆の塗り重ねた椀をご自分で作られたのでしょうか?他の職人さんが作られたのであればよほどの苦労があったものと察せられます。そして、その椀を使い込んだのでしょうか。自分自身で苦労してみないと見えてこない事が多々あるのではないでしょうか?
また、冬に漆を採取させて、その漆で作品を作った話があります。大変透明度の高い漆で予測通りであったそうです。樹液が全く混じらないので透けが良いのは当然です。枝漆(えだうるし)の透けが良いのと同じ事です。また腕の良い漆掻きさんの漆は樹液の混じらぬ様に採取するので、透明度が高いのです。この様な不自然な採取の漆で作品を作るのは全くのお遊びの範疇の仕事の様に思います。それを「どうだ、すごいだろう」と言われているみたいで、ちょっと鼻白んでしまいます。
読めば読むほど、納得のゆかぬ事も多く、それらと自慢話のオンパレードに思えてきたのでです。今ではその本は捨ててしまったか、どこかに紛れ込んでしまったか、探してみる気にもなりません。
松田氏はアールデコのデザイン性を作品に取り込んで、表現された立派な作品造りをされたかたです。多くの方々の尊敬を集めるのは私にもわかります。
同じ時代に音丸耕堂氏がおられます。アールヌーボー的な作品造りをされて、アールヌーボーを超えたかたと私は思っています。仮に絵画や彫刻などの別の分野に進まれていればワールドクラスの芸術家になられたのでは、と心秘かに思っています。松田氏が仮に漆芸ではなく、政治の分野に進まれておられたら、ワールドクラスの政治家、総理大臣位にはなっておられたのではと心密かに考えています。
とまあ、悪口を並べてみたのですが、松田氏は今後の漆工の歴史に残る有力な作家であるのは間違いのないことです。ただ、称賛の声が強すぎるのは気になる所なのです。私が松田権六と呼捨てにしたと、叱られた事があります。松田先生と呼べと言われました。大きなお世話です。
松田権六氏は日本の漆工史に名を残す有力な一作家で、それ以上でもそれ以下でもないと常々思っております。